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原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」の実態とは?!

マンハッタン計画とは、第二次大戦中に行なわれた原子爆弾開発および製造プロジェクトである。

多くの技術者を動員した国家主導の研究開発プロジェクトであり、連邦議会にすら知られないよう極秘に行なわれていた。これにより製造されたウラン型・プルトニウム型の2種類の原子爆弾が、広島・長崎にそれぞれ投下されるに至った。

この計画の目的は、ナチス・ドイツよりも先に原子爆弾を開発することにあった。核物理学者レオ・シラードやアインシュタインが、当時の米大統領ルーズベルトへあてた手紙によって、核分裂の連鎖反応による新タイプの爆弾が可能であるということと同時にドイツの核開発の危険性が知られることとなった。

ナチス・ドイツの原子爆弾開発は確実な脅威に違いなかったが、当初はそのような爆弾はSF的な扱いをされ懐疑的に見られていた。のちにイギリスの科学者によるウラン爆発の軍事応用に関するレポートによって、1941年、本格的に開発計画が動き始めることとなった。1945年7月に、人類史上初となる核実験「トリニティ」がニューメキシコ州で行なわれ、翌月には広島・長崎に投下された。

本来、シラードやアインシュタインが願ったのは開発による抑止であり、現実の使用を望んでいなかった。しかし、プロジェクトに参加した多くの科学者たちは、暗黙のうちに「使用する」ことまでが念頭にあったという。トリニティ実験が行なわれる前にはすでにドイツが降伏しており、「爆弾を開発する技術に達していない」との調査報告もあった。




これによって当初の目的であった「ドイツに向けた強烈な反ファシズム」という開発の存在理由は、技術的勢い、開発への好奇心に変容していたという。日本に原子爆弾が投下されたのは、投下後における構造的・生物的な被害を知るための実験であると同時に、ソ連に対して軍事的優位を示すための意図もあったと言われている。

現在、原爆投下は「戦争を終結させアジア各国の日本支配から解放をもたらした」として肯定するアメリカ人は多い。また、当時の戦時国際法においても一般市民の大量虐殺という違法性を主張する被害国日本の中においても「原爆投下は仕方のないことである」と考える人もいる。

しかしながら、原爆使用が、戦後ソ連とアメリカの冷戦における緊張状態を助長し、また現在に至る核兵器の脅威を世界各地に根付かせるに至ったことは紛れもない事実である。マンハッタン計画は、本来の大義や目的から乖離して、科学者の知的好奇心の暴走をもたらしたパンドラの匣と言えるのかもしれない。

【参考記事・文献】
・ジェームズ・L・ノーランJr.『原爆投下、米国人医師は何を見たか』
・原爆が使用されたのはなぜ?どのような被害があった?
https://www.nhk.or.jp/archives/sensou/special/warmuseum/02/
・マンハッタン計画とは?目的と具体的な内容、死亡した科学者がいた!
https://america-info.site/manhattan-project#index_id0

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(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

Photo credit: Kanesue on VisualHunt