ピュタゴラス(またはピタゴラス)は、紀元前6世紀に活躍した数学者・哲学者として知られている。
彼の名が冠された数学における「ピュタゴラスの定理」通称「三平方の定理」は、誰しも習ったことだろう。彼は数学者・哲学者として知られる一方で謎の多い人物としても知られており、古代の資料では神に近い超人的存在として語られ、神の信託を受けた、予言能力があったとも言われている。
ギリシアにあるイオニアのサモス島に生まれたピュタゴラスは、若い頃から知識欲が非常に高かったという。多くの学問を積極的に学んでいく中で次第に物足りなくなり、32歳のころにサモス島を出て、学問の旅へ出ることとなった。エジプトやフェニキア、そして現在のヨーロッパ各地を巡って幾何学、宗教学、算術などを学んだ末に、「当時存在したすべての数学知識を得た」とまで言われている。
52歳になってイタリアのクロトンに渡った彼は、多くの崇拝者や弟子たちを率いて宗教的そして学問的団体である「ピュタゴラス教団」を創設したという。ピュタゴラス教団は、「万物は数なり」すなわち「世界の全ては数学で証明できる」ことを基本思想とし、厳格な規律があったことが知られている。
まず、入信者には一定の学力が必要とされており、入信するには試験を通過しなければならなかった。次に、はれて入信した際には財産をすべて寄付することとなっており、これを教団の資本としてみなに分け与えられることとなっていた。そして、最もよく知られる教団の規律として、教団の内容やそこで研究される内容については一切の口外を禁ずるというものである。
徹底した秘密主義を敷いており、口外した者は死罪となったとも言われている。試験を経た入信者は、まさしく選ばれた精鋭であり、中でもピュタゴラスと面会を許されたのは、ごく一部の幹部であったと言われている。先に行った「ピュタゴラスの定理」は、厳密にはピュタゴラス自身の発見ではなく、教団によって導き出されたものであるという。
そのようなピュタゴラス教団も終焉を迎えることとなる。ピュタゴラスは非常に豆を嫌っており、教団の戒律にも適用していたという。のちの教団は、入信が叶わなかった人々による反発が起こり、彼らによって教団は潰されピュタゴラスも殺されるに至ったと言われている。その逃走の最中、豆畑に到達した彼は「豆を踏み潰すくらいならば殺された方がマシだ」として、ついにその場で殺されたというのだ。
彼は自身の戒律によって自らの命を失ったのである。こうした、秘密主義を貫いたにも関わらず彼の教団の内実が現在に伝わることとなったのは、彼の弟子や入信者たちが残した記録によるものであるという。
ピュタゴラスは、数学者という最も合理的と思われる立場でありながら、宗教的側面からすると強力な信仰を持っていたことは間違いないだろう。彼は、割り切れない数「無理数」を許さず、必ず割り切れる数「有理数」に執着していたと言われており、一説には教団のメンバーであるヒッパソスが無理数の研究に着手したために粛清されたとも伝わっている。
多くの学問をおさめたというピュタゴラスであるが、学問における柔軟な思考については別の資質が必要だったようである。
【参考記事・文献】
・B・チェントローネ『ピュタゴラス派』
・ピタゴラスを殺した自分の「戒律」
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/8554/
知っておきたい哲学の常識(23)─西洋篇(3)
https://www.data-max.co.jp/article/63766
【アトラスニュース関連記事】
(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 By Internet Archive Book Images – https://www.flickr.com/photos/internetarchivebookimages/14783288925/Source book page: https://archive.org/stream/storyofgreatestn01elli/storyofgreatestn01elli#page/n586/mode/1up, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=42033593