事件

合気道創始者「植芝盛平」を覚醒させた、出口王仁三郎のモンゴル遠征

植芝盛平は、合気道の創始者として知られている。彼の築き上げた合気道は、大東流をはじめとする柔道や剣術など様々な武術に、神道などの研究から得た思想・精神をまとめた独自の武道として、今や世界各国で多くの人々が稽古に励んでいる。

彼はまた、大本の信者であったことでも知られている。29歳の時に、北海道開拓移民の団長として生まれの和歌山から北海道へ入植していた植芝盛平は、36歳のころに父の危篤の一報を受けて帰宅することとなった。その途中、汽車の中で出口王仁三郎の話題を耳にし、京都の綾部に立ち寄った際に王仁三郎と邂逅することとなった。

植芝は、王仁三郎に深く魅せられ心服し、家族そろって綾部に移り住み大本へ入信するに至ったのだ。このことがきっかけにより、彼はそれまで学んだ武術を錬磨する一方で、王仁三郎のもとで大本の思想や行法を学び、それらを吸収していくこととなった。

1927年のころ、王仁三郎は植芝盛平らとともにモンゴルへ渡った。その名目はモンゴルにおける大本の布教であったと言われているが、モンゴルに宗教的・平和的な統一新王国を建設し、東亜連盟を実現することを目指したものであったと言われている。この時期は治安維持法の公布により、その違反として大本が弾圧された時期でもあり、また排外的な風潮が強まった日本において、国際主義・平和主義を標榜した活動であったとも考えられている。

モンゴル遠征においては、有名な逸話が伝えられている。モンゴルに到着した王仁三郎一行は、当時満州を支配していた張作霖の配下であった盧占魁(ろせんかい)と提携し、その軍隊と行動をともにしていた。しかし、張作霖の策謀によって彼の率いる軍の銃撃に見舞われることとなった。

この危機のさなか、植芝盛平は不思議な体験をすることとなる。植芝はこの時、「光のツブテが見えた」すなわち飛んできた銃弾が見えたといい、敵弾を避けることができたというのである。また、一行は捕縛され処刑寸前であったのだが、そこでも「撃とうとしても弾が出ない」という事態が発生し、王仁三郎も数度辞世の句を詠み直したが結局実行されなかったという。その後は領事との交渉の末、日本に送還されるに至った。

植芝盛平の銃にまつわるエピソードでは他にも、5人が一斉に撃った銃弾を避けたというものがある。これは彼の弟子である塩田剛三が証言していたものでもあり、彼の超人的な能力が伺える逸話の一つとして有名である。

人間は、命に関わるほどの危機的状況下で不思議な能力を開花させる、というような話はよく聞かれるものであるが、植芝盛平の常人離れした数々の功績は、このモンゴル遠征がきっかけであったことは間違いないだろう。

【参考記事・文献】
・川村邦光『出口なお・王仁三郎』
・【必見】合気道の 開祖「植芝盛平」のすごい伝説を集めてみました。開祖に鉄砲は当たらない!?
https://www.aishinkankyoto.jp/aikido-densetu/
・合気道創始者植芝盛平の武道観
https://www.jstage.jst.go.jp/article/budo1968/22/2/22_87/_pdf/-char/ja

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