「やってみせ 言って聞かせて させてみせ 誉めてやらねば 人は動かじ」
広く名言と称されるこの言葉は、日本海軍連合艦隊司令長官であった山本五十六によって発せられたものである。彼は第二次世界大戦下の日本において、独伊などの軍事同盟に反対し、アメリカとの開戦を避けようとして戦争に反対していた海軍軍人というイメージが強いように思われる。
しかし一方で、軍隊が恐れていたアメリカとの戦争を速めてしまい、また勝利できたはずの戦略を根本から狂わせた張本人こそが、山本五十六であったと言われている。
昭和16年ドイツとソ連は戦争状態に入っており、そこへ日本が北進していればドイツと挟み撃ちをしてソ連を倒すことができた可能性があった。このため当時の陸軍は北進を予定していたのだが、近衛内閣と海軍は南進をして南ベトナムに進駐すべきだと強く主張していた。
果たして、この南進の通告によってアメリカから石油が止められることとなった。ただし、作戦を考える精鋭を集めた「秋丸機関」による研究などによって南進での活路も一応は見いだせていたと言われている。いずれも、アメリカと総力戦を行なわないことを念頭としていたのだが、山本五十六は真珠湾を攻撃することを強く主張していたのである。
彼の真珠湾に対する主張は、表立った公式の会議ではなされず独断で強行されることとなった。この時彼は、「真珠湾攻撃ができないなら司令官を辞める」と脅しともとれる発言をしており、戦争前に辞められるのは混乱を招く上、陸軍にとっては石油の確保に海軍の船の手配も必要であったことなどから、周囲は止めることができなかったという。
そして彼の望んだ真珠湾攻撃は行なわれ、みなが恐れた日米総力戦へと発展した。この攻撃は奇襲と称されているが、現在ではアメリカ側も事前にわかっていたという説が濃厚になっている。
一説に、山本五十六は博打好きであり、真珠湾を攻撃してみたかったという願望があったと言われている。海軍司令総長であった永野修身が、このような彼の性格を利用したのではないかとも言われている。この永野の確信犯的な行ないは、陸軍の活躍に対抗する形で海軍の活躍の場を見いだそうとした意図があったとも考えられているが、結果的にはアメリカの思惑とも重なることとなったと言える。
中には、どのような方針でいったにせよアメリカに負ける未来しかなかったが、周囲からの圧力によりヤケで行なったという反論もある。しかし、真珠湾攻撃への賛成は、彼以外していなかったという話もあり、そうであれば実際のところ自暴自棄からの行ないであるとも考えにくい。
山本五十六は反戦の将としてたびたび賛美されているが、その立場としての実相は、よくよく考えてみる必要があるだろう。
【参考記事・文献】
・山本五十六は本当に名将だったのか?それとも凡将か愚将か?
https://blog.goo.ne.jp/lemonwater2017/e/85c542e62a02dc0d9f65ddb1522834f5
・【山本五十六の真実‼】真珠湾攻撃から太平洋戦争の始まりを分かりやすく‼
https://note.com/yukihistory/n/nee2b450eccba#rphXH
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(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 不明 – Official U.S. Navy photograph 80-G-21218 from the U.S. Naval History and Heritage Command., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1146728による