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日本史上の代表的偉人「聖徳太子」が超人化された理由とは?!

古代の偉人の一人としてあげられる聖徳太子は、日本の紙幣にも7回採用されるなど日本人にとって強く親しまれている存在である。10人の発言を同時に聴き、各人へ的確に応答したという逸話など超人的な存在としても知られている。

そんな聖徳太子であるが、近年では実在しなかったのではないかという「非実在説」が主張されることが多くなった。用明天皇の息子である厩戸皇子(うまやどのおうじ)、彼が聖徳太子であると一般的には言われているが、聖徳太子の業績がイコール厩戸皇子によるものであるということには、疑問とされている節があるのだ。

聖徳太子の実績として、十七条憲法や冠位十二階といったものが知られているが、それらは厩戸皇子が没して約100年後に編纂された『日本書紀』に記載されている。この日本書紀において、聖徳太子という存在が捏造されたのではないかと考えられているのだ。さらに、聖徳太子が隋に送ったとされている「日出處(ひいずるところ)の天子」という書状については、『隋書』などにはその送り主が「多利思北孤(たりしひこ)」と書かれており、これが聖徳太子と同一人物であるか実は定かではない。

これらのことから聖徳太子は、藤原不比等など藤原氏の手によって聖人として創作された存在ではないかと考えられているのだ。その理由には、中国の皇帝と対比されるような人物像を示すため、あるいは藤原一族の栄華のために皇太子というポストを権威づけるためなどが考えられている。




また、聖徳太子がこれほどに聖人・超人に形成された要因には、キリスト教と関連しているという説も存在している。厩戸皇子の出生にまつわる話と、マリアが馬小屋でイエスを生んだという話の設定が同じなのだ。この他にもイエスの伝説に類似する部分が聖徳太子には見られ、これは当時すでに日本に入っていたキリスト教(景教)の影響を受けていたと考えられている。これにより聖徳太子は聖人化されていったのだという。

ただし、聖徳太子を非実在と考えるには一つ気になる部分もある。それは、法隆寺が聖徳太子の怨霊を封じるために建てられたといわれる説である。聖徳太子は実は暗殺されたのではないかというのだ。彼の死後は、一族も皆殺しにされている。そのため一族の長である聖徳太子が怨霊となすことを恐れられたのではないかと考えられている。

この説を加味すると、聖徳太子はモデルとなる人物が確かに存在しており、その人物を偉大なる超人として称えることで怨霊化するのを鎮めたのではないだろうか。聖徳太子という名は、死後日本書紀で記された称号であるという。天皇の諡号(しごう:生前の行いを尊んで贈られる名前)ですら滅多に採用されることのない「聖」や「徳」と言った字を付されるのも、いかに聖徳太子という存在が恐れられていたのか伺える。

【参考記事・文献】
・山口敏太郎『日本史の都市伝説』
・聖徳太子の伝説7選や死因!実在しなかった説・何人聞ける・多くの謎も総まとめ
https://newsee-media.com/shoutoku-taishi#i-4

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(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用