事件

幕末に話題となった「生まれ変わり」の子:勝五郎の体験とは?

国学の研究を展開する中で、いわゆる超常・怪異現象も重大な研究対象として数々の著作を残した平田篤胤。彼の著作の中で、天狗にさらわれた少年寅吉の証言を記した『仙境異聞(せんきょういぶん)』は広く知られるところだろうが、もう一つ注目すべき著作が存在する。

それが、『勝五郎再生記聞(かつごろうさいせいきぶん)』という一人の少年の生まれ変わり体験を記したものである。

舞台は1815年、中野村(現在の東京都八王子市中野町)に小谷田勝五郎(こやたかつごろう)という男の子が生まれた。彼が8歳になったある時、「自分は程久保(ほどくぼ)村の藤蔵(とうぞう)の生まれ変わりだ」ということを主張し始めた。

藤蔵とは、彼が言う通り程久保村(現在の日野市程久保)に実在した少年であったが、勝五郎の生まれる5年前に天然痘によってわずか6年の短い生涯を終えた。勝五郎は、藤蔵の家の様子や父・母のことを次々に話し、また彼の噂を聞いてやってきた程久保村の人間が問いかけると、生まれてこのかた行ったことがないはずの村のことも言い当て仰天させた。

そして実際に勝五郎を村に連れて行くと、迷いもせず藤蔵の家に入っていった。藤蔵の両親は、勝五郎が生前の藤蔵に似ていたことにも驚いたが、向かいのタバコ屋に柿の木があるのを見て、自分が藤蔵だった時は無かったということも話したというのだ。彼は「ホドクボ小僧」として評判が広まり、多くの人々の関心を呼ぶこととなった。前述した平田篤胤のほか、中野村領主・多門(おかど)伝八郎、若狭藩の池田定常(さだつね)といった人物たちが勝五郎のもとを訪れ、その話を耳にしたという。




彼はさらに、藤蔵として亡くなる時の記憶や生まれ変わるまでの中間期の記憶も持っていた。棺に入れられ土葬される際の衝撃で魂が肉体から抜け出したのち、白いヒゲに黒い着物を着た老人に連れられいわゆるあの世へと連れて行かれたという。その後、老人から現在の両親の下に生まれ変わることを伝えられていたという。

平田篤胤は、この老人を産土(うぶすな)神ではないかと考えた。勝五郎はその後、平田の門人となって学問を学び、その後は父の農業を継ぎ55歳で亡くなったと言われている。

勝五郎のこの生まれ変わりの証言は、前世の様子を伝えるだけでなく、臨死体験や胎内記憶といったものが地続きとして語られる興味深いものとなっている。一方で、この話自体が注目を集めるために仕込まれた親による創作、勝五郎がたまたま耳にした程久保村の話を喋ったら偶然に当たったにすぎない、というような疑惑も存在している。

先の池田定常は、この時娘を若くして亡くしており悲嘆に暮れていたという。彼が誰よりも早く勝五郎の下に話を聞きに訪れたのは、今は亡き愛する娘もどこかで転生されていることを願ってのことだったかもしれない。

その意味では、彼の生まれ変わり話は少なからず幾人かの救済には役立っていたのかもしれない。

【参考記事・文献】
・現代に伝わる「勝五郎再生話」についての文化資産評価報告
http://g.kyoto-art.ac.jp/reports/4019/
・小谷田勝五郎と藤蔵~東京の生まれ変わり伝説少年
https://jpreki.com/kathugorou/

【アトラスニュース関連記事】

【アトラスラジオ関連動画】

(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

Photo credit: MIKI Yoshihito. (#mikiyoshihito) on Visualhunt