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白人至上主義団体「KKK」の恐るべき歴史

KKKは、クー・クラックス・クラン(Ku Klux Klan)の略称であり白人至上主義を主張する団体である。

1865年、アメリカの南部と北部の黒人に対する差別の是非を起因とした南北戦争が終結した。ネイサン・フォレストを含んだ退役軍人たちによってKKKが設立された。当時のアメリカでは各所で結社を組織することが流行しており、当初このKKKも退役軍人の交友会として集まったものであった。

とはいえその活動の中には、顔を覆う三角巾や丈の長いガウンを身にまとい、夜間に黒人居住地に赴いて通行人を驚かせるいたずらが行なわれていた。これが、のちにエスカレートしていったことで政治色をも強め勢力を拡大していくこととなった。

規模も広がり暴走が多くなった結果、当時の指導者であったネイサンは「当初の理想から外れ大衆に貢献するよりも有害となった」として1896年に解散を宣言した。しかし、KKKの残党はその後も生き残り続け、1971年にはテロリスト集団として公認されるに至った。

第一次大戦後には、ナショナリズムの台頭に呼応する形でドイツ人差別、有色人種差別といった差別対象を拡大していき、1923年にはオクラホマ州で2500件以上もの暴行事件を起こすなど過激さを増していった。政治家の介入もあり、支持票を得るために当時のトルーマン大統領も入会していたと言われ、1924年になるとその会員は500万人を超える規模であった。

しかし、そのKKKを凋落に導く事件が発生する。1925年、当時のKKK指導者デイビッド・スティーヴンソンが、インディアナ州のある女性教師を拉致し、貨車に連れ込み強姦し全身に噛みつくという凶行を起こした。解放された彼女は、自殺を図りその後死亡するが、死の直前にスティーヴンソンを告発したことで彼は起訴され、終身刑を宣告された。彼女の遺体は、「まるで狼の群れに襲われたようだ」と診察した医師がコメントするほどであったという。

第二次大戦後のKKKは勢力が分散し、それらの個々の団体が互いに敵対もしているという。しかし、これは細胞組織化することで中央組織にたどり着けないようにするための策略ではないかとも考えられている。現代においても、KKKの活動が活発化しているといった報道がなされ、その勢力の再拡大が示唆されている。

KKKの差別とその活動は過激であると言われるが、その認識に疑問を持つ見解も見られている。一説には、彼らの活動が黒人差別に大きく影響を与えた事実が、データからは優位に観察されないという。そのためKKKは、差別・憎悪感情という表面的な目的を利用した、実質、人々から資金を吸い上げるための組織だったのではないかとも考えられている。KKKはその当初の成立から、時代と共に幾度も変容を遂げている。

その実態は思った以上に複雑化した形で社会に潜り込んでいるのかもしれない。

【参考記事・文献】
・KKK・政党・宗教団体
http://www.law.tohoku.ac.jp/~hatsuru/texts/kkk.txt
・Ku Klux Klan
https://www.britannica.com/biography/Hugo-L-Black

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(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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画像 ウィキペディアより引用