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日本で初めて空を飛んだ男?!鳥人「浮田幸吉」の波乱の人生

浮田幸吉は、日本で初めて空を飛んだと言われている人物である。

同時代の漢詩人・菅茶山の著作においてその出来事が触れられているが、事実であれば、世界で初めて有人グライダーを構想・制作したイギリスの工学者ジョージ・ケイリーよりも60年以上も前に空を飛んだこととなる。

江戸時代中期に備前国児島郡八浜(現在の岡山県玉野市八浜)に生まれた幸吉は、7歳で父親を亡くし、表具屋(巻物・屏風を作る職人)へ丁稚奉公として出ることとなった。生真面目で手先が器用なためどんどん腕を上げていった幸吉は、ある時近所の寺で見かけた鳩を見て、「鳥のように空を飛びたい」という思いが強くなる。

それ以降、鳥が飛ぶメカニズムを独自に研究し始めた。

鳥を生け捕り、時には解剖も行なって羽の構造・大きさ・体重と翼の比率を測定するなどをして、自分にあう翼を設計していった。表具の技術を惜しみなく使って竹と縄の骨組みに紙と布を貼り、更に柿渋を塗って防水加工を施し、ついにグライダー飛行機を完成させた。

実験飛行によって足を骨折するケガを負うなどしたが、試作を繰り返した末の1785(天明5)年、旭川にかかる京橋での飛行実験で、風に乗った滑空により数メートルの飛行に成功したのち落下した。しかしこの時、河原へ夕涼みに来ていた人たちが幸吉を指さし「鳥人」「天狗様」と叫んで大騒ぎとなってしまい、藩士に取り押さえられた末に幸吉は岡山から追放されてしまった。



岡山追放後は、駿河(現在の静岡)に移り、「備前屋幸吉」の名で木綿を商いにすると同時に歯科技師としても技術の高い義歯製作で評判となった。しかし、空を飛ぶ野心は捨てきれず晩年も飛行機制作に挑戦、再び飛行実験を行なっては騒乱を引き起こし追放された、とも言われている。最後は91歳で長寿を全うし、その墓は静岡県磐田市の大見寺に残るという。

浮田幸吉の願望と野心は、空を飛ぶなど絵空事であった人々からすれば破天荒(前代未聞)なものであっただろう。それが、人々を怖がらせ騒がせたということで犯罪とみなされてしまったことは、時代の悲劇というほかない。鳥のように空を飛びたいというが鳥は好きで飛んでいるわけではない、と皮肉る人は多い。しかし、人間にはない能力を味わいたいという願望を誰もが抱くことは何も奇天烈な発想ではない。

浮田幸吉の人生は、自らの手で挑み失敗を繰り返しても、根気強く夢を追い成功を遂げた人物として未来へ語り継いでほしいものだ。

【参考記事・文献】
・山口敏太郎『日本史の都市伝説』
・浮田幸吉の解説 江戸時代に「鳥人」と呼ばれた男の大空への夢
https://jpreki.com/koukichi-ukita/
・世界初の人力飛行を達成した日本人「浮田幸吉」の生涯について分かりやすく解説!
https://sengoku-jidai-kassen.com/edojidai/20180911/

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(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

Photo credit: Vintage Japan-esque on Visualhunt