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戦争もテレビも知らなかった…シベリア究極の「ポツンと一軒家」に住んでいた一家

シベリアの荒野で、第二次世界大戦が起こったことも知らないほど孤立した小屋で暮らしていた一家が、偶然にも科学者たちによって発見されるという事件があった。

1978年、シベリアのタイガの松林の奥深く、地質学者のチームがヘリコプターで鉱物の宝庫となる場所を探していた時のこと。偶然パイロットが人の手が入っているような空き地がある事に気がついた。しかしその場所は近隣の町や村からは実に約250キロは離れており、「ポツンと一軒家」にしても相当な距離があった。

調査チームが調査に向かったところ、荒野の山の上に一軒の小屋を発見。リコフという名の一家が暮らしていた事が判明したのだ。

調査に動向していた地質学者のガリーナ・ピスメンスカヤ氏は、一家を見つけた時のことを次のように語る。

「一家の主人は怯えた様子で、とても気を遣っていました。『おじいさん、こんにちは』と何度も呼びかけると、おじいさんはかなり間を置いて『ここまで来たのだから、中に入ってもいいだろう』とようやく柔らかい声で喋ってくれました」




家に住んでいたリコフ夫妻はロシア正教会の信者であった。ロシア革命後の1936年、共産主義者が彼の弟を射殺したため、夫のカルプ・リコフは妻のアクリナと9歳の息子サヴィン、2歳の娘ナタリアを連れ、僅かな財産と共に人里離れた森の中へ逃げ込んだのだ。

その後、1940年には息子のドミトリーが、1943年には娘のアガフィアが生まれた。一家は粗末な家を建て、40年以上にわたって凍てつくような気温と飢餓に近い状態を生き延び、最も厳しい冬には靴の革を食べて生き延びていたという。

そんな生活を送っていた彼らは完全に外界との接触を断たれていたため、第二次世界大戦が起きて終結していたことや、人類が月面に降り立った事は勿論、テレビの存在や現代の技術もまったく知らずにいた。子供たちも、ロシア以外の国や都市があることは知っていたものの、外の世界を理解する環境に置かれていなかった。

科学者たちは徐々にリコフ夫妻と親しくなり、やがて彼らをなだめすかして自分たちのキャンプを訪れさせた。そこで彼らは現代の生活の中に溢れている「奇跡」を披露したのだ。当時の様子について、記者のワシーリー・ペスコフ氏は「カルプ・リコフ氏を最も驚かせたのは、透明なセロファンの包みだった。彼は『主よ、彼らは何を考え出したのでしょう。ガラスなのにくしゃくしゃになるんですよ!』と感嘆していました」と語っている。

その後、リコフ一家は学者らと細々と付き合っていたものの、過酷な環境が原因で1981年秋にサヴィンとナタリアが腎不全で亡くなった。また、ドミトリーも肺炎で死亡した。こうして学者や記者と接触した事で、これまで一家が接していなかった感染症にかかってしまったためだった。事態を重く見た学者らは、残された父親のカルプ・リコフと末娘のアガフィア・リコフに森を出て自分たちと過ごすよう説得したものの、二人は頑なに荒野の家を捨てようとしなかった。

カルプ・リコフは1988年2月16日、妻から27年後の日に眠るように息を引き取った。2023年3月現在、末娘のアガフィア・リコフはまだ荒野の一軒家で暮らしているという。

画像 https://twitter.com/tantotupiassu

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