スピリチュアル

「千客萬來」

今日は私が警備会社で働く直前の、イベントの仕事をしていた頃のお話をいたします。

私は2002年頃からイベント関連の仕事をしておりまして、大規模なイベントや、某有名美術館の巡回展示の運営に携わっていました。2004年に大阪難波の南海大阪球場跡地に建てられた当時としては、大阪には珍しい、東京的な複合商業施設のNPSで開催されたフードテーマパークのスイーツの部門の運営に携わる事になりました。

最もスイーツは客寄せで、真打ちは全国選抜の有名麺店でしたが・・・。このイベントはBN社が池袋の某有名ビルで展開していたものを大阪にぶつけた、当時としてはかなり冒険的なものでした。開店当時は大好評で長蛇の列は当たり前の、それほど広くない会場には、1日に一万人の来場者が来る、群衆の中での日々でした。

私とコンビを組んでいた、同僚の女性スタッフに、お笑いのY興業社に勤めていた、たけさんという方がいました。彼女も、“見える人”、でした。

彼女は芸人さんではなく事務方の人だったのですが、Y興業社の拠点のひとつの、なんばGK劇場で、呼び込みや、人員整理をする中で、劇場の前や商店街の群衆の流れの中に紛れて、というより、群衆の中の人々と同じように歩く群衆の中の姿のない人々を毎日のように見た、と言っていました。彼等は我々と変わりはない、ただ存在が希薄なだけだ、とも言っていました。

連日の千客萬來の中で、彼女に聞いた事があります。たけさんが、

「劇場の前や、商店街でみた、姿のない人達て、この会場にも来てるんかな?」
「うん、来てるよ。今日も来てくれているよ」

彼女がいうには、「我々と同じように買い物を楽しんでいる」、と。「来館者のいくつもの手が商品を取り、買い物かごに入れている中、希薄な手がいくつも見える」、と。「わあ、いいなあ」、と商品を手にとろうとする手が見えると。

たけさんは、「あの人達が来てくれているから、会場や、お店も活気が出るね」、とも言っていました。

私は連日の長蛇の来館者の流れに押されながら業務を行っていましたが全くその区別も判りませんでした。しかし、千客萬來は長続きはしません。上りがあれば下りもあり、が商売であります。次第に客足は落ちて行きました。特に大阪人は熱しやすく冷めやすいところがあります。その差には厳しいものがあります。

ある日、たけさんに、「あの、お客さん達は来てるの?」と聞きました。彼女は、「最近は来てくれへんね。姿は見かけへんわ。
でもね、新しい人来てるで」、と言いました。

それはスタッフの専用出入口の横に、性別や、表情、服装等は判らないのですが、うつ向いて、しょんぼりと佇む人がいるというのです。

私にはもちろん見えませんし、他のスタッフにも見えないのですが、たけさん以外にも三人ほど、見える女性スタッフ達がいて、彼女達も、その姿がわかる、と言っていました。でもたけさんも彼女達も、恐いとか気持ち悪いとかいう印象や、感じは受けないので、普通にその横を通っているとの事でした。

池袋の本部から係長やら販売担当者が来て、あれこれ頭をひねり、レイアウトを変えたりキャンペーンを張っても、もう客足が上を向く事はなく、ついに会場の規模も縮小する事になり、私も引き上げになりました。

最終日に営業が跳ねてから、私はたけさんに訪ねました。「あの人、まだ居るの?」

「数日前からおらへんね。あの人がいなくなったら、もうおしまいやね」、と笑っていました。




私のエピソードも付け加えておきましょう。

その佇む人が現れた頃になりますが、私はバックヤードの冷蔵庫のある部屋で商品の管理業務をしていました。出入口の扉が開き、支配人が入って来ました。彼は周りを見渡し、天井のライトを見て、首をかしげていました。

「どうかされましたか?」

支配人は、「ゲリーさん、この部屋の電気消えていた?」、「いいえ、電気消したら仕事できませんよ」、私がと笑うと、「だよね。でもさ、この部屋のモニターだけ真っ暗なんだよ」

支配人のいる管理事務所には全フロアーの監視カメラのモニターがあり、彼が時々チェックしているのですが、私のいるバックヤードだけモニターは反応しているのに真っ暗だ、と言うのです。支配人は、「おかしいなあ」、と言いながら出て行きました。

私は業務を済ませて、店の方に出ました。また支配人がやって来て、「ゲリーさん、モニター、正常に作動したよ。ちゃんと部屋の電気ついているよ」

「よかったですね」支配人はニヤリと笑うと、「ゲリーさんがいたから、真っ暗だったんじゃないの」、と言いました。

これが佇む人と関係があるのかどうかはわかりません。モニターの異変はこの日だけでしたから、単なる偶然なのでしょう。群衆の中に彼等も我々と同じようにいる、同じように歩いている、彼等も我々と同じようにショッピングに来る、という事は、見えない私の知見ではその意味は判りません。

この話を神職の友人に話しましたら、彼は、興味深げにこう言いました。

「難波や、千日前界隈は刑場だったんですよね。刑場後というのは、繁華街としては栄えるのですよ。デパートの火災の悲しい出来事がありましたが、本来は栄えるのです」私は、「人の死の記憶の場所なのに、なぜ、栄えるのですか?」。彼は、「だから、人を引き寄せるのですよ。姿のない人達もね」、と。

これは今回の話とは関係なく蛇足になりますが、最後に付け加えておきます。

その頃の事ですが、なんばGK劇場に近い居酒屋で友人と飲んでおりました。トイレに立ち、トイレのドアに手をかけるとドアはロックされていました。ノックしますと、内側からノック音がありました。

『誰か入っとるんやな』

しかし、しばらくしても、出る気配もなく、私は模様したくて堪らなくなり、もじもじしておりますと、店員さんが、「どうかされましたか?」と訪ねてきました。

私は、「ノックしたら誰か入っているんですが、出てこられないので…」と言うと、店員さんは、ドアの方を見て、軽くノックをして、「大丈夫ですよ」、と笑ってロックされているはずの、ドアを開けると誰も入っていませんでした。

席に戻りこの事を友人に話すと、彼は笑いながら、「このへんではよくある事やで」、と麦酒の並々と入ったジョッキを飲み干しました。彼等も店にも来ているのでしょうか。

我々が家に滞在している中、我々が群衆の中から去った街で、彼等は何処にいるのでしょう。群衆の中がある意味、ノスタルジアになってしまった今、休業中のNSPを見上げる度にあの頃の事が懐かしく思い出されます。

(アトラスラジオ・リスナー投稿 ゲリー板橋さん ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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