今日は過去子供が体験したことで思い出したことがあり投稿します。今回のお話は義父の葬儀の際、下の子供が体験した話です。その前に少し下の子のお話を致します。
下の子は生まれた時から変わった子供でした。とても静かな子供でしたが、物凄く氣の強い子供でした。抱っこをしていると、疲れが取れると言うか、身体から発する物がとても大きくて抱っこをしている側が何かに包まれる様な感じを受ける子供でした。
上の子を幼稚園に徒歩で送迎する際、2歳離れた下の子を一緒に連れて歩くのですが、自宅から幼稚園までの道すがらお寺が3件、神社が1件ありましたのでいつも全部をお参りしないと気が済まない子供でした。
当時3歳。ちっちゃな手を合わせて境内とかに立っている観音様や親鸞聖人様等、様々な宗派の仏像に手を合わせていました。そんな子供ですから、上の子以上に視えていましたが、怖がる事もなく物凄く落ち着いていて何かをジッと視ている様な子供でした。ですから、丁度その時期に高野山の宝亀院(ほうきいん)にお参りに行った際、そこのお坊様に「この子は僧侶になるかもしれない」と言われる様な子供でありました。
そんな下の子供も27歳になるのですが、6年前義父の葬儀の際ちょっとビックリしたことがありました。
葬儀終了後いきなり下の子が取り乱し、号泣したので会場はプチパニックになりました。緊急にその場にて私の母が子供に加持をして気持ちを抑えたのですが、落ち着いたところで話を聞くと驚きの回答が・・・
通夜の時親族席は以下のように座っておりました。通路挟んだ右側に親族席があり、義母と私たち夫婦は最前列に座り2列目に子供たちが座りました。左側に上の子、その右隣に下の子が座りました。
住職の法話が始まり義父の名前を間違えたとき、葬儀中ずっと号泣していた上の子の右肩に誰かの右手が乗せられました。横に座る下の子の目の端で視えたその手を「爺ちゃんの手だ」と瞬間的に思ったらしくとても動揺したらしいのです。見えたのは手だけで、はっきりとカラーで手首から先のみが見えていたそうです。
そんな中、法話は間違えた名前のままで進みその間手は肩に乗ったまま・・・最後で僧侶が名前を思い出し正しく語った時、肩に乗っていた義父の右手が上の子の肩をトントンと叩きそのままスーッと右腕上から下にそっと撫でてフッと消えたそうです。
ユーモアのある義父だったので、その行動が目に浮かび辛い病気で亡くなったけれど、肉体から離れた時その苦しみから開放されて、爺ちゃん子だった子供たちに大丈夫だと伝えてくれていた様に感じがしました。
ひょっとして義父は住職が名前を忘れてしまう様な悪戯をして、私達に何か合図していたのかもしれないなぁと後になって思いました。
下の子は怖さはなかったものの、久しぶりにソノ手の不思議なモノを見て動揺し混乱したようです。学生時代あえて気にしない事で見る事が減っていただけに、そのことをきっかけにまた色々見えたり感じたりするようになるのですが、またの機会に投稿させていただきます。
ちなみに撫でられた本人は全く自覚無く、怖がるでもなく「爺ちゃんらしいね」と言って笑っておりました。
短いですが・・・これで終わりです。
(アトラスラジオ・リスナー投稿 @はなさん ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 SANDPHOTO / photoAC