一般大衆に身近な笑いを届ける落語家という職業。そんな明るい印象の強い落語業界だが、今から100年前の大阪(上方)の落語界を舞台に世にも恐ろしい「強盗殺人事件」が発生したことがある。
かつて上方落語界には「桂梅枝(かつら ばいし)」という名跡があった。
この名跡は現在、江戸・上方ともに現在活躍している桂一門の始祖である「初代桂文枝」が前名として名乗っていた桂梅香の「梅」、そして文枝の「枝」を合わせた由緒ただしい名跡であるのだが、この桂梅枝の三代目を襲名した人物は1917年、自身の妻および娘を強盗犯に殺害されている。
1917年5月31日午前2時半頃、大阪市某区の長屋に住む三代目桂梅枝こと鹿野惣吉の屋内で物音がしたのを近所の住民が聞き、様子を見に行くと梅枝の娘である鹿野ソノ(20歳)および内縁の妻で寄席の囃子方(出囃子)である岩田フサ(44歳)が鮮血に染まっているのを発見した。
フサは全身に14か所の刺し傷があり死亡。ソノも34か所の刺し傷があり間もなく絶命した。
犯人はわずか2日前に鳥取刑務所から出所した前科6犯、山田吉松という人物で、犯行当夜、山田はたまたま通りがかった梅枝の家の戸口が空いているのを見つけ、盗みに入ることにした。すると、ソノが物音に気が付き目覚め、山田は盗みを諦め逃げることにした。しかし「女世帯ならば」と再び盗みに入ることにし再び侵入。寝ていた二人を台所にあった出刃包丁で刺し、盗みを働いたという。
犯行当夜、家主である桂梅枝は所用で家を留守にしており無事だったが、妻および娘が突然強盗に殺害された悲しみは大きく、暫くは高座にあがっていたものの、その後すぐに引退したといわれ、以降の足取りは不明(享年不明)となっている。
なお、三代目梅枝の師匠である二代目梅枝も晩年は不遇であったとされており、明治期は自作の「オッペケペー節」が寄席で好評を博し「オッペケペーの梅枝」との通り名のある人気者だったが、知人に金銭をだまし取られて発狂。療養先の京都から家出し、大阪市内で野たれ死にしているのが発見された。
二代目・三代目ともに不幸に見舞われたことから現在、桂梅枝は空き名跡となっていて、襲名するものは誰もいない。
歌舞伎の「市川團十郎の呪い」しかり、伝統芸能の世界には「呪われた名前」というものがある。この「桂梅枝」もその類だったのかもしれない。
【参考文献】『明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典』(東京法経学院出版)、『古今東西落語家事典』(平凡社)
(文:アリナックス城井 ミステリーニュースステーション・ATLAS編集部)
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