「子泣き爺」は、四国の徳島県の山間部に伝承されている妖怪である。
元々はマイナーな妖怪で、決して有名な妖怪ではなかったが、一躍スターダムにのし上がったのは、隣県の香川からやってきた民俗学者の武田明によって報告されてからである。
この武田明の報告文書が、昭和13年の柳田国男編纂の「妖怪名彙」に既述され、全国的に知られる妖怪となった。
この時の既述では、妖怪「こなき爺」が出る時には、予言的な意味があって、地震の前触れであるとされていた。更に、漫画家の水木しげるが「ゲゲゲの鬼太郎」を制作する際に、「こなき爺」を「砂かけ婆」や「ぬりかべ」「一反木綿」と共に善玉妖怪として、レギュラー出演させたことで一気に人気がブレイクした。
今や、「こなき爺」と聞いて、知らぬ者はいないぐらい有名になった。
この「こなき爺」だが、民俗学の妖怪伝承やアニメのキャラクターとしては、知名度はあがっていくが、それに反比例するように現実社会の伝承ではあまり聞かれなくなっていった。その後、柳田の高弟であった武田明が、「こなき爺」の伝承を聞いた平家の落ち武者部落・祖谷においても確認ができなくなっていた。
2000年以降は、「こなき爺」という妖怪伝承を聞いたことのある人は、全て死に絶えてしまったのかと思われたが、幸いにも郷土史家である多喜田昌裕氏の聞き取り調査で平田兄弟という老人たちが、「こなき爺」伝説を子供の頃に聞いたという最後の伝承者であった。
この兄弟に言わせると、親の言うことを聞かない子供を脅かすために妖怪「こなき爺」は使われたようである。つまり、教訓妖怪というわけだ。その後、この調査結果がきっかけで地元・山城町に子泣き爺像が建立され、妖怪町おこしの機運が高まり、「こなき爺」のイベントが開催されたが、残念な事に平田兄弟が相次いで亡くなり、「こなき爺」伝説は途絶えたかに思えた。
しかし、「こなき爺」の新たな目撃者が現れたのだ。2006年8月、西池冬扇(エンジニア・ひまわり俳句会主宰代行)氏が「子泣き爺」を目撃した。
西池氏は、この初夏、祖谷に泊まった。夜、廊下の暗がりで、怪しい爺に遭遇した。暗いのと驚いたが人形でなく、間違いなく「こなき爺」ご本人であったという。翌日、なんと柳田国男の指摘どおり、祖谷地方を地震が襲ったのである。こなき爺は今も四国の山中で現役なのだ!!
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