それから1週間後ぐらいの夜の事、ベッドで寝ていると声が聞こえてきた。
「おーい、おーい」
台所の方から、Sさんを呼ぶ声が聞こえて来た。体を起こして、ベッドを降りようとしたときにSさんは気がついた。
(誘いに乗ったらだめだ!)
そう気を取り直したが、声は相変わらず聞こえてくる。
「おーい、おーい!」
だんだんと声の調子が強くなっていく。Sさんは恐怖のあまり耳をふさいだ。
(お願いだからやめてくれ!)
Sさんが心のなかでそう絶叫した時であった。
「来ないのなら、こっちからいくぞ」
たしかに声がそう言った。
(えっ! 嘘だろ!)
パニックを起こしそうになるSさんをよそに、何かが近づいてくる気配がする。ギシ、ギシ、ギシと重いものが進んで来るような足音が確かに聞こえてくるのだ。
Sさんは震えながら布団の中にもぐりこんだ。
(来ないでくれ。来ないでくれ。来ないでくれ)
祈りにも似た悲痛な訴えを頭の中で繰り返した。だが、無情にもその祈りは届かなかった。ガチャという扉を開ける音が聞こえてきた。そして、さっきよりも大きな足音が聞こえ、それに続いて「ガタッ」という何かをつかむような物音がした。それは二段ベッドにかけられているはしごの音だった。
(だめだ! 確実におれのところにくる! きっとあいつに連れ去られる!)
Sさんは今まで感じたことのないほどの恐怖感を感じた。だが、それが防衛本能を呼び起こしたのか、Sさんはそれまでと真逆の心理状態になっていた。近寄ってくるものに立ち向かうべく腹をくくり、布団を跳ね上げた。すると、寝る前に呼んでいた厚めの漫画本が目に入った。
Sさんはそれを手にとり、無我夢中で二段ベッドの上から梯子の方に向かって全力で振り下ろした。Sさんの手に今まで感じたことのないような奇妙な手応えが伝わる。黒いもやはまるで叫び声を上げているかのように姿を歪ませながら、消えていった。
あとには汗だくになってへたりこんでいるSさんだけが残された。その後、Sさんはあの黒いもやの正体と思われるものを目にすることになった。
Sさんの部屋はマンションの最上階にあったのだが、台所の真上にあたる屋上の貯水タンクの脇で、カラスの死骸が発見された。そのカラスは頭を何かにざっくりと割られて死んでいたのだという。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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