「昔、むかし、ウラシマは~♪」幼き頃、誰しもが一度は口ずさんだ歌に「浦島太郎」がある。一部の愛好家からは「桃太郎」「金太郎」と並び三大太郎とも呼ばれ、日本の代表的な昔話のひとつとされている。
この「浦島太郎」は大概特定の場所に纏われない“昔話”として全国で語られているが、稀に地元に根ついだ“伝説”として語られる場合もある。
有名な場所では京都府の丹後半島があげられる。与謝郡伊根町の宇良神社を筆頭に浦島伝説が点在し、浦島太郎が当然のごとく実在の人物とされている。他にも香川県三崎半島や、和歌山県志摩にも浦島伝説は残されており、漁業が盛んな地域に浦島伝説が存在している点も見逃せない。
フジテレビの人気番組「アンビリーバボー」において、随分前に浦島伝説を追った内容が放送された事がある。浦島伝説は、ミクロネシアのパラオ島に漂着した漁師の体験が元ネタになったのではないかという視点からのものであった。南洋諸島の伝説と、浦島伝説との共通性を求めたものであったが、なかなか良質なものであったと記憶している。(00.09.16放送の同番組より)
現在、文献上で確認できる最古の浦島伝説は、「日本書紀」雄略天皇御世の記載である。女に変化した亀と共に浦島子が蓬莱山に行ったと記録されている。その後も浦島伝説は多くの文献で確認できる。「続浦島子伝記」、「扶桑略記」所収「浦島子伝」、「古事談」所収「浦島子伝」など。どうやらこの奇妙なSF談は、昔から日本人の心捉えてきたようだ。
現在、横浜には「浦島寺」とも呼ばれる寺が存在する。慶運寺の事であるが、浦島ヶ丘にあった浦島縁りの観福寿寺を明治期に合併した為、浦島観世音菩薩や浦島伝説を慶運寺が引き継いだのだ。
それこそ江戸期には、同地域の浦島伝説は有名であったのであろう。豊国の東海道五十三対(横浜市歴史博物館蔵)の「神奈川の駅浦島づか」には亀模様をあしらった女性の着物が確認でき、手拭いにも亀模様が使用されている。神奈川といえば “浦島”という図式が浸透していたのかもしれない。
では同地の浦島伝説を紹介しよう。いくつかバージョンがあるようだが、慶運寺に掲示されている「浦島伝説の説明板」を参考とする。
浦島太郎の父である浦島太夫は相州三浦の生まれで、丹後に居住しているときに、息子の太郎が誕生した。成人した太郎は、浜で子供にいじめられていた亀を助け、その御礼として竜宮へ連れていかれる。竜宮で三年に渡り、乙姫にもてなされるが、両親や故郷を懐かしみ帰宅を決意する。相州まで両親を訪ねるが300年前に死去しており、絶望した浦島太郎は亀と共に竜宮に戻ったとも、或いは同地で亡くなったとも言われている。
ちなみに元々浦島伝説のあった観福寿寺は、同地に留まった浦島太郎が建てた草庵が寺となったとされている。また現在神奈川区に浦島丘、浦島町、新浦島町という地名が残っている事も浦島が定住した名残だと言われている。
なお成仏寺には、浦島太郎が「竜宮恋し」と泣いた涙石がある。
愛しき乙姫の側では両親恋しきと泣き、故郷にては乙姫恋しと泣いた。いやはや、かくも男は、ワガママなのであろうか。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)