10代松前藩主矩広は、幼くして君主の座に着くが、悪臣に翻弄された挙げ句、正妻を毒殺されてしまう。
妻の死後、矩広は家臣の妹である松江という美女に恋心を抱くようになる。しかし、悪臣どもは、主君の歓心を奪われたと松江を妬み、門昌という和尚と不義密通を働いていると諫言してしまった。激怒した矩広は、松江を斬り、門昌を熊石で打ち首にするという凶行に及んだ。
門昌は首をはねられる前に、自らの供養の為、大般若経を読む事を哀願した。追手の者が許すと何故か逆さまに経文を読み上げた。すると門昌の目の前を流れる川が突如逆さに流れ始めたという。世に言う「熊石のさかさ川伝説」の始まりである。
更に首を持ち帰る一行は、暴風雨を避けるため円融寺に泊まったが、その夜首桶から火災が発生し、寺が焼けてしまった。祟りを怖れた松前藩は一行を熊石に追い返し、そこで門昌の首を埋葬させた。それが現在の門昌庵である。
しかし、祟りはこれで終わらない。首をはねた一行のある者は狂死し、その一行に草鞋を売った家、泊めた家も不幸に見舞われた。
藩主一族には夭折するものが続出し、江戸藩邸にも火災や、重臣の変死などが発生し、門昌の祟りは松前藩を震え上がらせた。その後、反省した矩広が、門昌の菩提を篤く弔ったところ、祟りは沈静化したと伝えられる。
坊主を殺すと七代祟るとはまさにこの事である。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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