太平洋戦争後もジャングルに潜伏し、ゲリラ戦を展開し続けていた日本兵がいる。1972年1月24日にグアム島から帰還した横井庄一さんがその代表例である。
筆者が子供の頃は、大々的な横井さんブームが起こり、横井さんが帰国した時に発した「恥ずかしながら帰ってまいりました」という言葉が流行語となり、「よっこいしょっ」と椅子に腰かけて”横井庄一=よっこいしょういち”というギャグも流行った。
その横井さんが久々にメディアで取り上げられた。
2018年2月24日、TBS系列で放送された「サタデープラス」にて、その人柄やジャングルでの生活が放送された。
番組には90歳になる横井夫人も出演しインタビューに答えていた。夫人と横井さんの出会いはお見合いの席であり、何度もお見合いに失敗していた横井さんは「どうせあなたは私に会いたかっただけでしょう」という言葉を発した。この言葉に対して、叱ってくれた夫人にいたく感動し、結婚を決意したという経過があったらしい。
また、横井さんの自宅は日曜日のみ「横井庄一記念館」として公開されており、夫人が館長を務めている。記念館には横井さんが最後に暮らしていたグアムの穴蔵が再現されている。また、植物の繊維から、上着とズボンを作り上げた機織り機も展示されているようだ。
驚くべきことに、横井さんは子供の頃、母親が機織り機を使っているのを見ただけであり、その時の記憶を元に制作したと言われている。
またその穴蔵には、酸欠にならないように入り口とは違う空気穴があり、調理コーナーや排水溝も設備され、トイレも水洗トイレになっていた。また、ココナツミルクを使ってカタツムリを調理したり、貴重なタンパク源であったエビやうなぎを捕まえるために返しのついた仕掛けも作り上げていた。
横井さんのお墓には、小動物を慰霊する石碑も建立されていた。これは横井さんの遺言であり、自分が生きて帰って来れたのは、グアム島の小動物のおかげだという考えがあったようだ。
関連動画
[昭和47年4月] 中日ニュース No.954 2「横井さん故郷へ」
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像『陸軍伍長横井庄一―その28年間のグアム島生活 (1972年) (サンケイドラマブックス)』