土佐に連綿と続く怨霊伝説「土佐の七人ミサキ」【その壱】





七人の人間の死が連鎖すると「七人ミサキ」になると言われている。

「七人ミサキ」はいわば怨霊が集約化されたものなのだが、非常に恐ろしい存在である。この怨霊についての話には様々な異説があり、怨霊が生まれた由来もそれぞれ異なったものが語られている。僧侶や山伏、武士などが「七人ミサキ」になったとして、時代ごとに異なった話が語られ続け、現代においても「渋谷7人ミサキ」という都市伝説が90年代に語られている。

このように「七人ミサキ」は姿を変えて語り継がれる怨霊潭となっているわけだが、こうして語り継がれているのは、そこに語り継がれるだけの恐怖が存在しているためである。




今回はその「七人ミサキ」の中でも最も有名な、長宗我部家の跡目騒動に端を発する「土佐の七人ミサキ」の話を紹介しよう。

長宗我部家が居を構える土佐国は、長らく七雄が覇を競う群雄割拠の状態にあった。それを平定し統一を果たしたのが長宗我部元親であった。元親はさらに勢力を拡大し、四国も手中に治める。

しかし、天下統一を目前にしていた豊臣秀吉との戦に破れ、四国の領地を全て秀吉に譲ることとなった。その後は秀吉から信頼を置かれるようになり、秀吉の紀州攻略に参戦するのだが、この戦いで元親の後継者である嫡男・彌三郎信親が、陣中にて没してしまう。

長宗我部元親には他に4人の子供がいたため、いったいだれが家督を相続するのかが問題となる。これが全ての発端となっていくのである。

(続く)

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©PIXABAY

 

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