1月12日、落語家の柳家小蝠(やなぎやこふく)さんが肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。42歳だった。
小蝠さんは1994年に五代目立川談志に入門。2001年に十代目桂文治門下へ移籍し、04年に文治が死去で柳家蝠丸の門下へ2回目の移籍。05年に落語の名跡である柳家小蝠の5代目を襲名し、2014年に真打に昇進。落語家として今後の活躍が期待されるなかでの急死であった。
前述のように小蝠さんの最初の師匠は立川談志であり、当初は高座名を立川志っ平と名乗っていた。しかし、志っ平時代は所属する落語立川流へ収めるべきお金(上納金)を滞納し、談志の逆鱗に触れて破門となっていた。とある演芸界の都市伝説によると「談志の怒りを買った元弟子は早くに亡くなりやすい」というようなやや不謹慎ではあるが、悍ましい都市伝説が囁かれているようだ。
以下は談志門下(落語立川流)を去り、早くに亡くなってしまった落語家の一覧である。
3代目朝寝坊のらく→90年代中盤に立川流破門後2000年頃に死去。享年50歳前後
喜久亭寿楽→1992年に立川流から脱退し、落語協会へ移籍。2008年死去。享年56歳
5代目柳家小蝠→2001年に上納金滞納で立川流を破門。2018年1月12日に肺炎で死亡。享年42歳
2代目快楽亭ブラック→2005年に借金問題で立川流を退会。2005年に心筋梗塞で生死をさまよう。
いかがだろうか。談志の元を去った元弟子は意外なことに40~50歳程度で亡くなってしまっているのだ。また借金問題で立川流を自主退会扱いになっている快楽亭ブラックも一命は取り留めたものの、一度は死の淵を望んだ大病を患っている。
一説には談志から発せられる神秘の力が強すぎて、生命力を奪われてしまうのが原因ではないかとの噂もある。しかし、談志一門を抜けて別の一門へ移籍した落語家はほかにも数名いるほか、談志の逆鱗に触れた人物ならば、それこそ星の数ほど存在するためあまり関係はなさそうだ。
最後になったが、亡くなった柳家小蝠さんのご冥福をお祈りします。
(若葉イチロウ ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)