業界のウワサ

【人生が変わる奇跡の瞬間】なかにし礼、下田のホテルで石原裕次郎と会った…

日本を代表する作詞家の1人、なかにし礼だが、ヒット曲を多数持っている。代表的な曲を挙げてみると「北酒場」「時には娼婦のように」「今日でお別れ」「石狩挽歌」などがある。昭和歌謡の巨匠、阿久悠が亡くなった今、日本で最長老の現役メジャー作詞家といっても過言はない。

筆者が熱心に聞いている文化放送の「武田鉄矢・今朝の3枚おろし」で武田本人の口から披露されたなかにしの話が面白い。

なかにしは元々フランス語の翻訳やシャンソンの作詞をやっていた。借金をしまくる兄の影響で常に経済的に苦しく、大学に通いながら苦学生として働いていたのだ。




貧しい中で、学生結婚したなかにしは、伊豆下田に新婚旅行に行った。貧乏な学生ではあったが、新婚旅行ぐらいちゃんとした場所に泊まろうと、やや高めの下田国際東急ホテルに宿泊することにした。

そのホテルのロビーに到着した瞬間、奥に座っていた当時すでに売れっ子であった石原裕次郎が笑顔で手招きをした。

映画「太平洋独りぼっち」のロケで下田に滞在していた裕次郎は、宿泊先のホテルに於いてスタッフ達と一緒に自分たちが考える理想のカップルを品評していた。何組かの新婚カップルがホテルに入ってきたが、裕次郎のお眼鏡にかなうカップルはいない。

「あのカップルはダメだな。別れちまうよ」

裕次郎の理想のカップルはなかなか現れない・・・。そのうち偶然ホテルに入ってきたなかにし礼夫妻が裕次郎の目に止まった。裕次郎は笑顔で手招きし、二人を近くまで呼び寄せるとこう言った。

「ビールでも飲みなよ」

当時無名の翻訳家に過ぎなかったなかにしは、この瞬間まるで夢のようであったと回想している。今をときめく映画スターの石原裕次郎が目の前にいるのだ。

裕次郎はビールを飲みながらさらに続けた。

「君は何をやってるの?」
「フランス語の翻訳とシャンソンを書いて、いくばくかの収入を得ています」

すると裕次郎はこういった。




「シャンソンはつまらないなぁ。歌謡曲の詩を書けよ。良い詩が書けたならオレのところに持ってきなよ」

そう言ってくれたという。

それからしばらく経って、なかなか良い詩がかけたので門前払い覚悟で裕次郎の事務所を訪ねたところ、当時のことを覚えていた石原プロの専務と担当者が事務所の奥から出てきてくれて対応してくれた。結局、この歌「涙と雨にぬれて」は裕次郎が歌うことはなかったのだが、後に田代美代子、和田弘とマヒナスターズが歌って大ヒットした。

これがなかにし礼のメジャーデビューの瞬間である。

人生と言うのは一瞬の出会いで大転換するものだ。人生が変わる奇跡の瞬間をつかまえろ。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像『なかにし礼と13人の女優たち