天保十一(1840)年6月に櫛引道柳沢村(現)にて、村人たちによって「河童」が捕獲されるという事件が起きた。
この事件を記録した文書が怪物の絵入りで残っているのだが、この「河童」の姿が一般的な妖怪・河童の姿とはかなりかけ離れているのである。
一般に河童と言えば「頭に皿、背中に甲羅、手足には水掻きがあって水中に住む子供くらいの大きさの妖怪」という外見だ。しかしこの捕獲された「河童」はどう見ても「怪鳥」と呼んだ方がいい外見をしている。
長く伸びた首に小振りの翼、足は猛禽類のものに近くかぎ爪がある。全身に羽毛が生えており、羽毛のない箇所は蛇の腹部を思わせる構造になっている。翼と背中では毛並みが違うように描かれており、また背中部分には横縞も描かれているため、もしかすると羽毛の下には河童のような甲羅が存在したのかもしれない。顔はほとんど鳥と言った方がいいもので、黒く細いくちばしと前頭部に肉ひだないしは肉瘤がある。
まるでは虫類と鳥類をミックスしたような外見である。
類似の生物と言えば、一応ガチョウが当てはまるかもしれない。おそらく水辺で発見された「妖怪のような未知の生物」だったために「河童」と名付けられたのではないかと考えられている。
(加藤史規 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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