四国の徳島県。海部郡海陽町(旧・海南町)の浅川(あさかわ)に、茶堂の鼻(ちゃどうのはな)という場所がある。
「鼻」とは、顔面の鼻のように出っ張った地形を指す言葉らしい。この茶堂の鼻も海に突き出た小さな岬のような地形である。
現在では、埋め立てられ、片側一車線の舗装道路ができ、鼻の対面には大田集会所も建っているが、昭和30年代に他村から嫁入りした女性によると「この舗装道路のところも海だった」とのこと。
埋め立て前の波しぶきのかかる茶堂の鼻と海の間には細い未舗装の道しかなく、夕方などには無気味であったらしい。
さて、源平合戦のころ、(香川県の)屋島から落ち延びてきたらしい侍が、彼の愛馬とともに、夕暮れの茶堂の鼻へ辿り着いたそうだ。
武士は馬を樹に繋ぎ野宿で寝入った。
それを遠くから見ていた地元民は、役人に報せれば褒美も出ると考え、まずは馬を奪おうとしたが、手綱に手をかけると突然に馬が大きく鳴き、
気づいた武士は「曲者!」と地元民に斬りかかった。
ところが、武士は間違って愛馬の胴体を真二つに切断してしまい、地元民は逃げ去る。
かくして武士は恥入り、その場で切腹した。
それ以降、この茶堂の鼻には前脚だけで走る後ろの胴体の無い「尻切れ馬」が現われるようになったと伝わる。
この「尻切れ馬」は前脚二本だけで走るので独特な足音だそうだ。
文字で書けば「パカ! パカ!」では無く「パ! パ!」だが、想像も困難だ。
なお、近所の食堂「味政」の経営者は「茶堂の鼻には洞穴があり尻切れ馬が棲んでいると教わった」と言う
また、別の人は「尻切れ馬の姿は前が人間で後ろが馬だと教わった」と言う。ギリシャ・ローマ神話の半人半馬のような姿なのか?
さらに、「胴体が馬で後ろが人間!」と語る人や、「前が人間!」「前は馬!」「腹から下!」など、各自が語り訊かされた姿形が様々だ。
「議論はそこまで!!」
場を制した声の方向を振り返ると、なんと「これが正しい姿形である!」との解説のために「尻切れ馬」そのものが出現してくださっているではないか! ということは無いのが残念である。
【写真説明】
写真中央の石造物や小社などが林立する場所が「茶堂の鼻」。洞窟を語る海鮮丼の店は写真の枠外の右方向にある。
文:多喜田昌裕