以下は昭和時代のテレビ局を襲った「史上最悪の放送事故」のユル過ぎる話である。
1973年7月30日の毎日新聞の社会面に「『時事放談』朝寝坊」なる珍妙な記事が掲載されている。
記事によると7月29日のテレビ番組『時事放談』(TBS系列、1957年~現在)で番組スタッフが現れず、生放送が18分も遅れる放送事故が発生したというのだ。
当時『時事放談』の司会をつとめていた政治評論家の細川隆元が、政治学者の藤原弘達と生対談をするため予定通り午前8時過ぎにTBSの和室スタジオに集合した。ところが放送開始の8時30分が近づいてもTBSのディレクターやカメラマンは現れず、スタジオは真っ暗なままだったという。
長年番組司会を担当している細川隆元も「こりゃあ変だぞ!」と近場にいた局員に報告。異変に気づいたTBSスタッフが慌てて局内にいるカメラマンや照明マンをかき集めたが後の祭り。結局二人の対談が開始されたのは番組が開始されて18分も過ぎてからだった。
そして番組は残りの数分で、当時話題になっていた日航機乗っ取り事件、国会延長問題について少し触れただけで放送終了という大惨事になってしまった(生放送できなかった冒頭は短編映画を流して対応していた)。
ちなみに番組に於けるこの日の締め文句は、「これじゃ君、言論弾圧だよ」というスタッフへのキツいダメ出しだったという。
また記事によると、この日の放送は当初、信越放送からの中継放送を予定していたが、放送3か月前にTBSスタジオからの中継に変更。ところがスタッフのミスでこの日の日程表を「信越放送制作」としたままだったために撮影スタッフがスタジオに集まらなかったという。
現代であればまず有り得ないミスだが、当時はコンピューターなどでスケジュールの管理をしておらず、日程表に手書きすることから、些細な凡ミスがそのまま放送事故につながる恐れがしばしばあったという。
なお、スタジオへ予定通り来たもののほとんど対談ができなかった細川は「長い間テレビに出ているがこんなことは初めてだ!まったく気抜けがしてならん!」と相当なご立腹だったという。
なお、細川は今回の件に対して怒りはあったが、『時事放談』からは降板することなく1987年の番組第一期終了まで出演を続けている。
(文:穂積昭雪 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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