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【山口敏太郎現地レポート】「キリストの墓」は真実なのか?それとも…

 青森県新郷村にて「キリストの墓」と認定された十代塚と、その周辺に伝わる伝承などについては、奇妙な一致点もあるものの幾つかのユダヤ=戸来村の証拠は状況証拠にしか過ぎず、所詮は昭和初期に生み出された、いかがわしい偽史が生み出した現代の伝説だと、筆者・山口敏太郎は思っていた。

 だが百聞は一見にしかずである。驚くべき事に、キリストの墓の横には、イスラエル大使館が立てた記念碑が建立されているのだ。




 国家機関がいちいち宗教家のネタに付き合うだろうか。また、新郷村とエルサレムは姉妹都市であることもわかった。やはり、イスラエルは本気で、新郷村と付き合っているのだ。数年前には、なんとエリート官僚であるはずのイスラエル大使が来村しているという。

 これはどういう事だろうか。

 なんちゃってスポットを楽しむ気分で訪問した筆者は、複雑な気分になった。キリストの来日伝説はともかく、かつてユダヤ人が来日し、この村に定住したという伝説は、ある一定の評価をイスラエル側がしたという事なのだろうか。

 そういえば、東北は不思議な地域である。青森の三内丸山遺跡や、秋田のストーンサークルなど、高度な文化を持つ古代集落があったことが推測できる遺跡も多い。しかも、秋田のなまはげ伝説では、5匹のなまはげが大陸から武帝という王と共に渡ってきたとされているのだ。これは、古代に外国人の戸来や、移住があった事を意味しているのであろうか。

 現にシルクロードを通って隣の唐までは、ユダヤ人はやって来ている。その一部が日本に来ていても不思議はない。そういえば、東北は十三湊と言って、大陸と大規模な国際貿易湊があったのである。また、なまはげの容貌は、外国人を彷彿させる。

 例えば、こんな仮説はどうだろうか。古代にイスラエルの地から追われた、十部族の一部はシルクロードを通り、中国に定住した。その定住した者の中から、更に東の日本を目指したものがいたのではないだろうか。その頃には、ユダヤ人と言えども、東アジア系との混血が進んでいたので、容貌もそこまで違和感もなく日本の地で、受け入れた可能性はある。また、関西の太秦(うずまさ)、奈良(なら)という地名はヘブライ語であると言われており、聖徳太子を助けた秦氏は、ユダヤ人であるとされてきた。

 聖徳太子の馬小屋誕生伝説も、キリスト誕生伝説と酷似している。やはり、奈良時代に景教(キリスト教)が唐から輸入された時、ユダヤ人も移住していたのであろうか。夢は深まるばかりだ。




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(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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