事件

秘伝のレシピを装甲車に護衛させた!「カーネル・サンダース」の武勇伝

 さて、現在でも人気のケンタッキー・フライド・チキンが産まれるまでには、こんなサクセスストーリーがあったようである。

 「ある所に、一人の初老の男性がおりました。彼は40歳でレストランを開業し、繁盛させますが、自分の建っている店の近くに高速道路が建設されてしまい、人の流れが変わってすっかり客足が途絶えてしまいました。

 店はついに閉店することになり、年金も少なく今後の生活の見通しが立ちません。何とか暮らしていける方法はないか……そう考えた彼はレストランの看板メニューだったチキン料理のレシピをレストランに売り、実演販売して売上が上がったところでマージンをもらうという計画を考えました。

 彼はすぐに営業を始めましたが、なかなか計画に乗ってくれるレストランはありませんでした。2年間、来る日も来る日も営業を続け、ついに1010件目のレストランで彼のアイデアを採用し、契約してくれる店舗が現れました。

 この事業を始めた時、彼は65歳になっていました。やがて同じように契約する店舗は増えていきました……この男性の名はカーネル・サンダース。ケンタッキー・フライドチキンの産みの親でした」

 65歳を超えてから成功をつかむ、なんとも凄いカーネル・サンダース氏の逸話だが、これが事実だというのがまた痛快である。

 以降、ケンタッキーはカーネル・サンダース氏のレシピを守り続けて世界的なチェーン店へ拡大していくわけだが、2008年にアメリカのKFCケンタッキー本部で金庫の改修作業が行われた際にある機密を守るため、金庫の中身を装甲車で移送したという話が出た。

 この時、運ばれていたのは「カーネル・サンダース氏が残した秘伝のレシピの原本」であり、平時から金庫にしまわれた社の最重要企業秘密として扱われていたというのだ。




 金庫の改修に伴いレシピが金庫の中から出され、装甲車を護衛に付けて一時保管の場所まで移されるという、なんとも厳重なものであったという。

 もの凄い話である。このような話が新たな都市伝説を生み出すのではないだろうか。

(監修:山口敏太郎/田中尚 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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