ある人から、依頼の電話が鳴った。
「山口先生、家族が今の家に引っ越してから、次々と病気になってるんです。この事件の謎を解いてくれませんか」
それは奇妙な依頼であった。ただし、私は探偵でも、霊能者でもない。だが、親しくしている方の紹介であるため、仕方なく訪問することにしたのだ。
その家は、都内北区の某所にあった。
「なるほどね、この家に来てからですか、何か場所にさわりがあるのかもしれませんね」
「実は、ある公園から石を拾ってきたのです」
家人の話によると、庭の池に敷くための石を何個か、ある公園から拾ってきていたのだ。
「いけませんよ。石とはいえ公園のものを持っていっては」
「はぁ、神谷公園なんですが」
私はその公園名を聞いて呆然とした。あの公園は、いわくつきの場所であったのだ。
実は、昭和49年3月から昭和50年5月にかけて 東京北区神谷2丁目30番から32番にかけての小さなエリアで連続して、死亡者が続出した事件があった。
これが、有名な“神谷公園連続変死事件”である。
その連続死亡事件の発生現場は、神谷公園の東入り口に通じる50mの路地に面した10軒の町内での事である。
1人目T家83歳の老婆が老衰3/17に死亡。
2人目T家の左隣のSさん91歳が老衰4/3に死亡。
3人目一軒おいてT家の右隣のWさん32歳が交通事故7/4に死亡。
4人目今度はW家の更に右隣Y家の息子30歳が山で滑落死12月に死亡。
このY家の隣は道路なので、これで死の連鎖はないだろうと安心していると、今度はT家の向かい側に死の連鎖が廻る。
5人目T家の向かい側Yさん76歳が老衰1/1に死亡。
6人目Y家の左隣別のYさん70歳が老衰1/4に死亡。
7人目さらに左隣Kさん22歳交通事故5/22に死亡。
以上7人が立て続けに死亡した。この死の連続に、この町内は、”死に神にとり憑かれた町“と噂された。
なお、10軒のうち助かったと思える3軒も実は不幸に見舞われていた。
煙草屋を営むH家は、この変死事件の3年前に主人が階段から足を踏み外し、重傷を負っている。もう一軒も、実は12年前に一歳児が死亡している。残り一軒にまったく死の連鎖が及んでない理由は不明である。
なお、この事件は週刊読売の昭和50年7/26号、週刊現代の昭和51年7/29号に報道されている。
また、この変死事件の背景には、太平洋戦争当時の空襲による犠牲者の呪いが噂されている。実は神谷公園は当時の死体置き場であったのだ。
山のように公園に積まれた死体・・・。
これら犠牲者たちの怨念が、死神となり公園付近の住民に祟ったと、囁かれたのである。結局、供養碑が公園に建立され、変死の連鎖は現在止まっている。
「早く、その石かえしたほうがいいですよ」
「わかりました」
依頼者からの連絡によると、その石の返却後、不幸の連鎖は止まったという。
やはり、この世に死神は実在するのであろうか。そう、死神の鎌は貴方のそばで鈍く光り輝いているかもしれないのだ。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像©PIXABAY