都市伝説の存在であったはずの箱男。そんな箱男の幻影に襲われた女性がいる。
Fさんは、東海地方のある街でひとり暮らしをしている。元々は、裕福な家庭で育ったお嬢様であった。だが、何不自由ない生活は退屈そのもので、学校卒業後は同じ町内ではあるが独立し、一人暮らしを始めたというわけだ。
その彼女に、箱男の引き起こす奇妙な事件が襲いかかる。会社の帰り、頭から箱を被った男が道端に立っていた。箱男は悠然としながら、立ちつくしている。
無論、その町で育った彼女は箱男の噂は聞いていた。
「あっ 箱男だわ、いやだ」
震えながら、Fさんは、箱男の横を通過した。その瞬間、腐ったような匂いがぷーんと鼻孔を刺激した。足早に、立ち去ったFさんの後頭部に向かって、箱男は向き直り、
「ギギギ」
という音を立てて、姿を消した。その声はまるで、虫の鳴き声のようであったという。
翌日も、翌々日も箱男は帰り道に立っていた。そして今日も、やっぱり箱男はそこに立っていた。彼女は硬直したまま、思考を停止した。
「あの箱男、私が狙いなのかしら」
恐ろしくて、腰に力の入らないFさん。いやな予感がする、早く逃げねば。恐怖におののく彼女は、急遽帰り道を変えた。いつもの道より、何倍も遠回りしたのだ。
「これで大丈夫よね。多分」
彼女ははずむ息を整えながら、自宅への道を急いだ。
「あっ!」
前方に段ボールを被った男が、小刻みに頭を揺らしている。まさか、思いつくままに道を変えたのに、何故あの男がいるのだろう。彼女の心臓が早鐘のように鳴った。一筋の汗が、こめかみを伝う。そして恐怖のためだろうか、視界が霞む。
やはり、何度確かめても、道端に箱男が立っているのだ。しばし呆然として我が目を疑った彼女は、とうとう心のバランスを崩してしまった。
「いや~、助けて」
悲鳴をあげるとFさんは駅前に向かって逃げ出した。駅前に逃げれば、誰かが助けてくれるかもしれない。カバンも放り出してしまった。完全に錯乱状態である。
そして、駅前の交番に飛び込んだのだ。
「どうしたんですか?」
警官の呼びかけに、Fさんはゆっくり顔をあげた。涙で前がはっきりと見えなかった。恐怖で、舌がからまってしゃべれない。
「実は、箱男が」
と言いかけて、彼女は失神しそうになった。なんで、なんでなの、ここにもあの男が。彼女は、脳内の血管が何本か切れたような衝撃を受けた。目の前の、警官の顔が、顔が、顔が・・・。
箱男であったのだ。警官のユニフォームを着た箱男が、ぶらんぶらんと頭を揺すった。
「ギギギ」
また虫のように鳴いた。その声が彼女の脳に突き刺さった。
「ひいいいい」
彼女はあらん限りの大声で悲鳴をあげた。もはや、これは尋常ではない。あちこちめちゃくちゃに走った。だが、町の人全てが箱男に見えてくる。
これは、自分の精神がおかしくなってしまったのであろうか。私はこのまま箱男の恐怖のために、発狂してしまうのであろうか。Fさんは一晩中歩き廻り、ようやく町はずれの実家まで逃げてきた。
「いくらなんでも、実家まで知らないでしょ」
彼女は這いずるように実家に近づいた。すると、明け方なのに実家は人が大勢いる。皆、喪服を着ているが、異常な人物はいない。幸いここには箱男はいないらしい。
「よかった、ここは無事らしいわ」
ほっと一息入れて、実家の門をくぐったFさんに、母親が声をかけた。母親の目が涙で潤んでいる。
「あら、貴方どこに行っていたの!? おじいちゃんが明け方亡くなったのよ」
母の話によると ここ一週間風邪で弱っていた祖父が突如亡くなったというのだ。彼女の携帯電話にも連絡していたが、箱男から逃げ回っていた彼女は自宅に帰れず、とうとうそのままであったのだ。
「おじいちゃん、亡くなったの!?」
おじいちゃん子であったFさんは、祖父の遺体を前にして涙がこみ上げてきた。
「最後に何か言葉は残したの?」
ふと祖父は最後になんと言ったのかが気になった。彼女は遺言が聞きたくなった。すると母親はポツリと言った。
「最後に言ったわ。『我が家の箱入り娘はどこに行ったかの、箱にもう一度入れてしまいたい』って」
彼女がハッとすると、祖父の口が小さく動いた。
「ギギギ」
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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