明治の初め頃、犬鳴川(福岡県)は綺麗で水量も多く、鮎が四斗(約72リットル)樽一杯に取れ、川の深みから鯉を抱いて上げる名人が居た頃の話です。
植木の下町に田代甚五郎とゆう元気な若者が居ました。
夏の夜中に縁側の雨戸をトントンと叩いて「甚五郎、甚五郎」と呼ぶ声に甚五郎と家のものが目を覚ましました。甚五郎は縁側に出て雨戸を開けると、子供のような声をした男と暫く話をしていましたが、家のものに黙ってその男と連れ立って家を出ましたそうです。
いつまで待っても甚五朗が帰ってこないので、家のものは段々と心配になって来ました。
今までに聞いた事の無い変な声の男と出て行ったので、何か間違いがあったのではないかと近所の人をたたき起こして、人手を集めて周辺を探しに出ました。
さんざん探し回って、犬鳴川の川原に行くと水際で陣五郎らしい男とギャッギャッと異様な声で騒ぎ立てる連中がなにやら相撲をとって遊んでいるようでした。
人々が近付くと相撲に興じていたと思われる影はザブンザブンと次々に川に飛び込んで逃げていきます。しかし、しばらく人々が用心をして遠くから見ていると、それら影たちはまた川から上がってきて甚五郎と相撲を始めるのでした。
ところがよく見ると、人々には甚五郎の姿しかそこにはないのです。しかもこの影たちは甚五郎に負けると、次々と新手と変わって組み付く様子なのです。
甚五郎の家のものや近所の人々は、こいつは河童に違いないと気付きました。そして「このままでは甚五郎がさらわれてしまうぞ」と、甚五郎の傍まで行くと張り切って相撲を取っている甚五郎を皆で手取り足取りして無理やりに家に連れ戻しました。
家に帰った甚五郎は急にグッタリとなって、そのまま七日七晩寝通しでした。
ようやく目が覚めたので皆が甚五郎に憶えていることをを尋ねてみると
「河童に呼び出されて川原に行くと他にも数匹の河童がいて相撲を取る事になった。手に唾を付けると『そんな事はするな、川で手を洗え』と河童に言われたので、その通りに川で手を洗って相撲を始めた。相手は負けるたびに新手を繰り返したが自分も河童になんか負けてたまるか、と渾身の力を振るって相撲をとっていた・・・」
と明瞭な記憶を話したということです。
今から30年くらい前、植木下町(福岡県直方市)の瓜生さんという人から聞いた話です。
(山口敏太郎事務所 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 歌川国芳 画『多嘉木虎之助 田村川で川虎(河童)を生け捕る図』