日本民俗学界の父である柳田国男は、1875年(明治8年)7月31日、兵庫県神東郡田原村(現在の神崎郡福崎町)に生誕した。
代々の医者を務める松岡家の六男であったが、元来体の弱い子供であり、本を読むのが好きな子供であった。柳田は、この頃から不思議な体験をしていたらしく、本人の話によると神隠しの体験もあるというのだ。つまり、民俗学者であるのと同時に、神秘体験をしている不思議体験者でもあったのだ。
柳田は、1887年(明治20年)茨城県北相馬郡布川村(現在の利根町)にて、長兄の松岡鼎が開業していた医院に住み込み、兄の友人である小川家の蔵書を読みまくる。特に地元の学者・赤松宗旦の名著「利根川図志」には大きな感銘を受けたという。また、周囲の環境も多感な柳田少年を刺激した。
利根川の近在にある地蔵堂に設置された間引きの絵に驚愕し、狐の穴を埋めた男が錯乱した怪事件に恐怖を覚えた。また、とある祠に奉ってあったご神体の玉を手にとってみたところ、昼間にも関わらず、星が見えたという体験をしているのだ。この昼間に見えた星というのが、衝撃的である。
これなどは、現代の感覚でいうとUFOではなかっただろうか。
1901年(明治34年)柳田家の娘と結婚、養子として入籍し、この時初めて柳田国男になる。柳田は農民たちが、常に貧乏である事に疑問を持ち、文学への想いを絶ち切り、農商務省農務局に勤める官僚として農民救済に取り組む。
1908年11月、佐々木喜善という人物が友人の水野葉舟の紹介で柳田に会いにくる。この佐々木の語る遠野地方の昔話が柳田に大きな衝撃を与え、名著「遠野物語」と繋がっていくのである。柳田の大きな仕事には、少年時代の不思議な体験が根底に流れているのだ。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像は『水木しげるの遠野物語 (ビッグコミックススペシャル) 』表紙より