これは筆者・山口敏太郎の母方の叔父から聞いた話である。
柔道家であり、軍人という少し堅苦しいイメージの叔父は、実は物腰は柔らかで温厚な人物であった。そして、筆者がせがむと、時折戦争中の話を聞かせれくれた。
因みにこの叔父は、筆者のペンネーム・山口敏太郎という名前が生まれた原因となった人物である。デビューしてから数年間は、本名の間 敏幸(はざま としゆき)という名前で活動していたが、間家が江戸時代中期から続く古い家であり、一族郎党あまりオカルトじみた執筆活動には好意的ではなかったため、違うペンネームを考案中の夜、母方の叔父が枕元に立った。
「敏幸、山口姓を継いでくれ、江戸時代から続く山口家が途絶えてしまう」
夢の中で悲しげな表情を浮かべ叔父は筆者に訴えた。
「わかったよ。ではペンネームとして山口姓を使うよ」
そう答えると夢の中の叔父は消え、筆者は覚醒した。山口家は武士でも庄屋でもないにも関わらず、苗字帯刀を江戸期から許されおり、江戸期の山口一族の墓石などを調査していた叔父は、その断絶を憂いていた。叔父の男兄弟には女しか生まれず、筆者の母を含めた妹たちには、男が沢山生まれていたからだ。
そんな叔父は、よく戦争中の不気味な話を聞かせてくれた。戦闘が終わると仲間の死体を陣地の横に積み上げるのだが、それが夜になると遺体から出たリンでボーッと光るのだという。
新兵などは酷く恐れて夜警の見張りに立つことをいやがるのだが、講道館柔道で鍛えていた叔父は、
「我々もすぐこの中に積まれるのだから、怖くはないぞ。戦友の出す光ではないか」
と言って励ましたという。
また、銃撃戦のあと仲間の点呼をとると指で数えた人数と声を数えた点呼の数が合わないことが多々あったという。
「つまり、死んだ人間が幽霊となって出てきているのを数えたのか、幽霊が声だけで返事したのかわからんわけや」
叔父はいつも関西弁でそう解説してくれた。また、敵軍と交戦中の際には、すぐ真横にいた戦友が目をそらした瞬間に肉片になっていたり、一瞬何気なく立ち止まったところ、目の前を銃弾が通過したりと、戦争中の生死の境界は、人間の力だけでは計り知れないものがあったようだと述懐していた。
幾つかある叔父の戦争奇談の中で、もっとも興味深かったのは、陸軍の間で囁かれた妖怪「空坊主」の話である。
あまり知られてはないのだが、戦争中の大陸戦線で戦っていた陸軍も偵察などに使う飛行機を所有しており、陸軍所属のパイロットもいたという。このパイロットが飛行中に度々不気味な物体を目撃したと言われている。
「山口、俺はあの化け物を見てしまったんだよ」
叔父は疲れきった戦友の顔をまじまじと観察しながら尋ねた。
「おいおい、落ち着けよ。化け物だって、どういう意味だ」
「空坊主さ、あいつは俺が操縦する飛行機の羽根の上を這い回り、操縦席の俺につかみかかってきた。坊主頭の着物を着た初老の男だったよ」
こんな事が度々あったというのだ。飛行中に空坊主が操縦ハンドルを奪おうと襲い掛かってきたり、羽根や機器を破壊したり、中には飛行機から降りた途端に恐怖で失神してしまうパイロットもいたらしい。
空坊主、日本版グレムリン伝説である。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)