怪談は夏に楽しむものだという概念は変わった。今や冬場の怪談番組や怪談本が増えつつある。筆者が企画立案し関西テレビに持ち込んだ『怪談グランプリ』も2017年の冬場にスピンオフを放送する。
そんな怪談の分野には大きく分けて二種類がある。創作怪談と実話怪談である、前者は作家が全てを作り出した架空のストーリーであり、後者は体験者が実際には存在すると思えるものだ。
ここ十数年間、実話怪談という分野がもてはやされてきた。決して創作怪談がレベルが低いわけではないが、実話という部分に魅力を感じる読者が多いようだ。
しかし、実話怪談という分野は危うい分野である。その危うさは次の2点にある。まずは実話怪談だと謀(たばか)る作家の存在だ。自分の脳内で考えた作り話を体験者がいる実話怪談だと偽って発表する怪談作家がいるのだ。
脳内で作られた怪談ならば創作怪談として発表すれば良いのに、売り上げアップが見込まれる実話怪談として発売してしまう出版社の編集者や営業マンがいる。事実、筆者と某社での担当者が同じ某怪談作家は『実話怪談とは銘打ちたくない』と担当者にこぼしている。
つまり、出版社の営利目的で創作怪談が実話怪談として出版されることがあるのだ。
さらに悪質なのは作家が自分が作り上げた怪談なのに、確信犯的に体験者がいる実話怪談と嘘を述べる事である。
武士の情けで名前は出さないが、この手の偽装を行う作家は、リアリティーを出すためにNHKのドキュメントをよく観るようだ。ドキュメント番組で描写された特殊な業界でのマニアックな情報を取り込むことにより、さも体験者がいるかのような描写が可能になるのだ。
これはあくどい手口であると同時、年間大量の怪談本の出版が可能になる。言い換えれば、怪談本しか飯の種がない物書きがやっているトリックである。
山口敏太郎は霊体験の多い人物100名近くと付き合いがあり、定期的に実体験の聞き取りを行っている。また山口敏太郎のツィッターは19万人フォロワーがおり、FACEBOOKの友達5000人と合わせてかなり大きい範囲で怪談収集を行っているが、それでも年間に3冊ぐらいしか上梓できない。集まった怪談の中でも使えるのはほんの一部なのだ。年間に5冊も6冊も実話怪談が書けるのは物理的におかしい。
そもそも怪談作家ならば、年間に何百人から心霊体験を聞いているはずだ。山口敏太郎は日本中を走り回り本人たちから体験談を聞いている。
この手の体験をする人は限られていて、繰り返し霊体験をするので何度も聞くことになる。そうなると違う作家さんにも聞かれたとか、心霊スポットで「作家の⭕️⭕️さんが取材をしていた」という話を耳にする。そこに名前が一切出てこない作家は怪しい。新耳袋の木原、中山両氏、東雅夫氏の名前はよく現場や話者の口から出る。彼らは間違いなく現場で怪談を取材しているのだろう。
また危うい部分は心霊体験の語り部、話者本人にもある。本人は事実を言っているとは思うのだが、何度か同じ体験談を聞いているうちに話が変化してしまうという現象が起こる。記憶の補正機能が働くのであろうか、大部分がより面白くなっているのだ。また、他にも以前語った体験を頑なに否定したり、明らかに精神病の症例のような話をする場合もある。このような場合、実話怪談と銘打っても良いものか、筆者は迷うことがある。
実話怪談を書き続けることは、毎回悩み続ける事でもあるのだ。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)