11月27日(日)放送の日本テレビ『NNNドキュメント』では『青い目の人形の涙 〜子どもたちとあの戦争〜』と題して昭和2年に平和の使者として日本とアメリカで交換された人形の行方を紹介した。
当時はまだ大東亜線戦争がはじまる前で両国は親善の証として「青い目の人形」と「日本人形」を交換していた。
青い目の人形は日本の子供たちに1万3000体あまりがプレゼントされ、日本も着物を身に纏った58体の日本人形をアメリカの子供たちに送った。
しかし昭和16年、アメリカと日本で戦争が勃発。アメリカから進呈された青い目の人形は大人の手で処分され大部分が紛失したが、アメリカ側は日本人形を大事に保管していたという。
送られた日本人形のうちの1体、「富士山三保子」は2014年にカンザスシティー博物館にて保管されていることがわかり、『NNNドキュメント』では約89年ぶりに日本へ帰る富士山三保子の旅路を追った。
頭部に少しヒビが入ってはいたが、富士山三保子の保存状態はほぼ完璧な保存状態で、今年3月~4月にかけて静岡県内で随時展示されていた。
しかし、テレビを見ていた視聴者のなかには「富士山三保子の顔つきに変化があった」と気づく人もいたという。
発見されたばかりの富士山三保子は顔つきがやや堅かったのに対し、展示された富士山三保子はより女の子らしい顔つきになっていたというのである。
確かに富士山三保子は制作から89年が経過したため展示にあたっては人形師が少し補修した可能性はあるが、丸っきり顔が違うというのはどういうことだろうか‥・?
もっとも「ただの気のせい」という可能性もあるが、あまりに悲しすぎる運命を辿ってしまった富士山三保子だけに、また故郷の土を踏めたことで何か特別な感情が芽生えたのでは、と感じる人も多かったという。
(文:江戸前ライダー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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