今から3年前の2013年の大河ドラマ「八重の桜」は、日本でキリスト教の布教に尽力し同志社大学を設立した新島襄の妻・新島八重が主人公だった。
八重は会津藩の山本家に生まれているが、同家は山本勘助の末裔らしい、父親は入り婿であったが砲術に長けており、父に学んだ技術を使い会津戦争では断髪・男装し鉄砲を使って大暴れをしている。
その後、新島襄と出会い、同志社大学の設立に尽力するのだが、山本八重(新島八重)の夫(2番目、最初の夫は会津戦争で行方不明になる)新島襄は、フリーメーソンのメンバーであったという都市伝説がある。
新島は、密航し海外に渡ったが、そのときの費用や同志社設立の費用がメーソンから出ていた(単純に寄付という説も根強い)という。
また、新島をメーソンに誘ったのは、彼が軍艦の技術を学んでいたときに師事したジョン万次郎であったとされており、死後彼の墓には定規とコンパスが描かれたという(のちに墓石をとりかえた。現在のはもの三代目)。
そんな新島襄だが、妻・新島八重のことをこう評している。
「彼女は決して美しいわけではない。生き方がハンサムなのです」
ちなみ新島が初めて八重を見初めたとき、八重は井戸に腰掛けて縫い物をする危うい姿勢で座っていたという。その危険さに新島はひかれたらしい。
メーソン関連の情報は、あくまで陰謀論者の間でフォークロアのように言われている都市伝説に過ぎない。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)