明治時代~大正時代の政治家で、早稲田大学の創設者として有名な大隈重信の右足はホルマリン漬けにして保管されている、という都市伝説がある。
1889年、大隈重信は外務大臣時代に外国人を裁判判事に導入するという条約案を提唱したが、反対派の組織の抵抗に遭い爆弾によって右足を負傷した。
爆弾をうけた大隈重信の右足は損傷が激しく切断されて義足となった。
その後、大隈は不自由な足ながらも総理大臣になり、一旦は政治家を引退し早稲田大学の初代総長に就任した(後の大正時代に政界復帰し2回目の総理も経験する)。
そんな大隈重信はその切断された右足を生前アルコール漬けにして残し関係者に見せていた、と言われる。
一説には「偉大なる初代総長の体の一部だから」と現代に至るまで早稲田大学の地下倉庫に足が保管されているとも噂されていたが、現在、早稲田大学にあるのは愛用していた義足数本だという。
大隈重信の足は大隈重信の家で長らく保管されていたが、交換するアルコールの値段が高価なため赤十字中央病院に寄付され、日本赤十字看護大学がホルマリン漬けに変更し保管を続けていた。
その後、1999年頃に佐賀市にある大隈家の菩提寺に移管され大事に保管されているという。
現在は一般公開はされていないが、赤十字中央病院時代には一部の関係者が見ることができ、爆撃によってできた生傷が痛々しく残っていたと言われている。
(文:江田シャクレロ ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像『池上彰と学ぶ日本の総理 第17号 大隈重信 (小学館ウィークリーブック)』より