予言

【怪人伝説】出口王仁三郎 (前編)





出口王仁三郎(本名・上田善三郎)は、1871年京都府亀岡市で生誕している。神童としてならし、成人してからは、天狗と呼ばれる人物と共に高熊山で修行に励んだ。近代日本の宗教家の中で最も異彩を放った怪人である。

明治以降に生まれた新派神道「大本」を率い、恐るべき「予言」の能力を発揮した。大本は出口ナオを開祖としている。

貧困な家庭に育ったナオは、元々熱心な金光教布教者であったが、明治25年のある日、古代に神々の手によって鬼門に封印された“うしとらノ金神”がナオに降臨した。宗教家として目覚めたナオは文字がかけないにも関わらず「お筆書き」という神の言葉を記しだした。

そこに、神の導きで上田善三郎(後の王仁三郎)が訪れ、二人は意気投合。教団の基礎を構築し、大本として金光教から独立することになる。



一説には、ナオをアマテラスに例え、王仁三郎をスサノオとして、二人を兄弟神として解釈する場合もある。その後、王仁三郎はナオの娘・澄と結婚。上田姓から出口に改め、ナオの死後も大本の指導者となり、「大本神論」「霊界物語」を経典にし、勢力を伸ばしていく。

その頃の日本は「体主霊従」(肉体が主体で、魂がそれに従っている状態)の考えであったが、王仁三郎は本来の「霊主体従」の正統な姿に戻したいと願っていたのである。

驚異的な的中率を誇った王仁三郎の予言は、神道でよく唱えられる雛型思想に裏打ちされている。つまり、王仁三郎は大本で起こることが日本で起きる、更に日本で起きることは全世界に起こると説いているのだ。この流れを「三段の型」と呼び、王仁三郎の霊的な予言はこれを元に行われることが多い。

明治~昭和の期間、大本は計2回に渡る宗教弾圧を受けている。俗に言う「第一次大本事件」と「第二次大本事件」だ。この一連の弾圧は、王仁三郎の出生に関する秘密が絡んでいた。王仁三郎は、有栖川宮の御落胤(ごらくいん)という噂があり、信者たちを集め反乱を起こすのではないかという風聞もあり、不敬罪の疑いもあった。




この弾圧の動きは、出口ナオのお筆書きでも予言されている。大正7年に出口ナオが亡くなった際に「3年先にドエライ悪魔が魅入れるぞよ。辛の酉の年が過ぎたなら、神が変性女子(王仁三郎)を御用に連れ参る(大正七年一月)」とお筆書きで語っていたのだが、まさにその3年後に第一次大本事件が起こるのである。

第一次大本事件が起こった大正10年2月12日未明、200名の警官が綾部、亀岡の両神苑に乱入し強制捜査に入った。霊能力で、予め警官の乱入を予言していた王仁三郎は、大阪の大正日日新聞で仕事中であったが、強制的に取り調べにあった。

風聞では大本は錦の御旗、竹槍などを用意し、天皇家に対し反乱を計画していたと言われたが、まったく物的証拠は出なかった。しかし結果的に、王仁三郎と教団幹部は、不敬罪・新聞紙法違反などで検挙され、投獄される。入獄から126日後に王仁三郎は釈放されるが、皇族の墳墓に似ているという理由により、開祖・出口ナオの墓の破壊が命じられる。

この一連の弾圧は、王仁三郎の活動に大きな転機を与えた。大正10年から、あの名著「霊界物語」の口述筆記が始まるのだ。寝ながら、霊界や未来の事を語る「霊界物語」は、現在の眠れる予言者・ジュセリーノともリンクしており、興味深い。

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≪後編に続く≫

画像『神示の宇宙

(ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)