市川團十郎の呪いと悲劇の歴史 名跡編

 團十郎家には数々の因縁がある。前にも東京スポーツでも説明したが、名跡そのものに呪いの連鎖があることを再度説明しておこう。何故か團十郎という名跡を継ぐと不幸になってしまうのだ。




 まず、初代團十郎であるが役者仲間に舞台上で刺殺されている。人気役者が舞台上で演技中に刺殺されるなど考えられるだろうか。我々、プロレスファンとってはブルーザー・ブロディが、ホセ・ゴンザレスに刺殺された時のような衝撃であろうか。

 二代目團十郎は、日本初の千両役者となったが、絵島生島事件に巻き込まれ、収拾に奔走する日々を送った。三代目の團十郎は、寛保元年 (1741) に大坂で上演中、病に倒れ、翌年 (1742)死去している。

 四代目團十郎は、67年の人生をおくり、五代目團十郎も名人と評され、文化3年(1806年)、66歳の天寿を全うする。歴代團十郎の中で平穏な人生を送ったのはこの二人ぐらいである。

 六代目團十郎は襲名後、風邪をこじらせて急死するが若干22歳であった。さらに七代目團十郎は、歌舞伎十八番(暫く、外郎売りなど)などを選定したが、天保13年 (1842)、天保の改革により、江戸から追放されている。八代目團十郎は、『切られ与三』役で人気を博した二枚目だが、嘉永7年 (1854)、江戸から追放された父親(七代目團十郎)に会うために大阪に行くが、旅館で自殺してしまう。動機は判然としない。

 九代目團十郎は、八代目團十郎の弟であるが養子に出された先で、強盗の被害にあっている。本人は九死に一生を得るが、養父は刺し殺された。また、五代目・市川新蔵を養子として、十代目にすべく育成するが、新蔵は眼病で片目を失明、その後急死する。十代目團十郎は、死後に追贈された九代目の娘婿であり。生前に團十郎と名乗ったことはない。28歳で銀行員から転職した異色の歌舞伎役者だが、役者としては恵まれなかった。

 十一代團十郎は、他家から十代目市川團十郎の養子に入り、昭和37年 (1962) 4月『一億円の襲名』と呼ばれた襲名劇により、歌舞伎人気を復活させる。だが、襲名から3年半後の昭和40年 (1965) 11月10日、胃癌で死去した悲劇の名優であった。そして、十二代目である当代の市川團十郎だが、白血病を発症しながらも名優の道を極めている(編集部注:2013年に死去)。

 いかがであろうか。この團十郎という名跡そのものが大変な因縁と宿命のある名前なのだ。

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市川團十郎





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