すでに20年以上も前であろうか。今は亡き名監督・深作欣二氏が「忠臣蔵」と「四谷怪談」を合わせた「忠臣蔵外伝」という映画を撮影した。かくいう筆者も劇場で拝見したのだが、たわわな巨乳を惜しみなく露出させる高岡早紀と、うらぶれた佐藤浩市の演技が妙なリアル感を醸し出していた。誠に秀逸な作品であったといえよう。
同映画では、鶴屋南北の「東海道四谷怪談」の主人公・民谷伊右衛門が赤穂浪士の一員であったという設定であるのだが、この状況設定はまんざら嘘ではない。
何故なら、江戸時代、歌舞伎の演目において、「忠臣蔵」と「東海道四谷怪談」は交互に上演されたのだ。つまり、「東海道四谷怪談」と「忠臣蔵」の登場人物が何名か共通しており、この二つの物語が複雑にからみあって進行していくのである。江戸歌舞伎の本場・中村座で上演されたのだが、その時に「東海道四谷怪談」と「忠臣蔵」は幕単位で、交互に2日間に渡って上演したらしい。
何故、このように違った性質の作品を組み合わせたのであろうか。その理由はいくつか推定されている。お岩の「怨み」と赤穂浪士の「義」のコントラストを狙ったものであるかもしれないし、プライベートな理由により発生する四谷怪談と、オフィシャルな討ち入り行為の対比も興味深い。だが、主たる原因として陰「東海道四谷怪談」、陽「忠臣蔵」という陰陽の組み合わせによる世界観の構築を狙った可能性が高い。陰という暗部なくして人の世の営みはあり得ないということであろうか。
しかし実際には、このように文芸の世界では赤穂浪士は怪談と重ねて語られる事もあるのだが、現実の伝承でもいくつか忠臣蔵に纏わる怪異は報告されている。次の話は出典を失念してしまい、筆者の記憶の中にのみ残っているものだが、浅野内匠頭の切腹した場所に石を置いていたのだが、その石が度々、うなり声をあげて動いたと言われている。浅野内匠頭の魂が石に残留してしまったのであろうか。
また、「東京伝説めぐり(駿河台書房)昭和17年」には赤穂浪士関連の近代における怪異が報告されている。浅野内匠頭が田村右京太夫の邸で切腹するのだが、その時、大銀杏の木の下で切ったと言われている。(芝居では桜の木の下で切腹するシーンが多いようだが)ちなみにこの大銀杏は別名「入津の大銀杏」と言われ、船が港に入る目印にもなったと言われており、大正年間まで存在していたという。
しかし、さしもの大銀杏も関東大震災には歯が立たず、焼失してしまった。しかしながら、銀杏の幹はその後もしばらく残っており、大人が3人がかりで抱えれる程の大きさであった。同書によると夜間などはまるで大入道が手を広げているようにみえたそうである。
そして、事件が起こる。この大銀杏の近所に威勢の良い魚屋がいて、その大銀杏の幹を切り倒して、まな板を作ってしまった。すると毎夜 浅野内匠頭の亡霊が現れて、「何故、切った~」と恨み言を述べ続けたのだ。気の毒な事に最後に魚屋は狂い死にしたと伝えられる。なおこれは余談だが、焚きつけに使用した風呂屋では祟りもなかったと言われており、呪いや祟りの本質の当の本人の内面にあるのかもしれない。
ちなみ、現在浅野内匠頭の切腹の地には和菓子屋さんが開業している。そこで販売されている名物のお菓子はの名前が凄い。
「切腹最中」
あんこの出具合が切腹した腹を例えているらしい。味もなかなか美味であった。いやはや世の中、祟りなど吹き飛ばすパワーが優るのであろうか。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像は『あの頃映画 「忠臣蔵外伝 四谷怪談」 [DVD]』ジャケット写真より