猿飛佐助、服部半蔵…名のある忍者たちの歴史

 明日7月1日、嵐の大野智を主演にした映画「忍びの国」が公開される。

 「のぼうの城」「村上海賊の娘」などのヒット作で有名な和田竜氏の同名小説が原作で、戦国時代に伊賀忍者と織田信長軍との間に起こった天正伊賀の乱が舞台となる。




 この映画でフィーチャーされるのは伊賀忍者だが、影に生き影に散るとされる忍者でも、名を残した忍びは多い。

 有名なものは「真田十勇士」だろう。もともと武田に与した真田も修験道系の忍びを使い、関が原の戦いや大阪夏の陣で見せた勇猛ぶりが、真田十勇士の原型となった。なお真田十勇士で最も人気のある猿飛佐助は、立川文庫が近代において創作された架空のキャラクターだが、近年発見された資料によると真田の配下に佐助と名乗る人物がいたことが確認されている。

 なお立川文庫は、大坂で誕生しており、豊臣びいきの傾向が強い。つまり、大坂生まれで、大坂育ちで難波の象徴である豊臣秀頼を守る甲賀忍者たち(真田十勇士、つまり霧隠才蔵、望月六郎、三好清海入道、猿飛佐助)に、対する徳川家康・伊賀者という図式で描かれており、当然のごとく徳川・伊賀方が悪人に描かれている。徳川家康に狸親父という老獪なイメージが焼きついたのもこの立川文庫がきっかけである。

 徳川家は甲賀と伊賀を上手く使い分けているが、本能寺の変に巻き込まれかけた家康の窮地を救った功績により、服部半蔵が士分への取立てを受けている。しかしながら、二代目の服部半蔵は忍びの術に疎いばかりか、部下たちの人心掌握もできず、下忍たちからストライキを起こされている。所詮、忍びの世界とはいえ、お坊ちゃまの二世ではまとまらないのだろうか。




 北条家の関東制覇を手助けしたのが、風魔党であり風魔小太郎を筆頭に相州ラッパが結束し、多くの実績をあげた。また毛利家に仕えたのが、佐田彦四郎である。佐田は弟を従え毛利に使え、数々の功績をあげた。

 他にも、戦国期には著名な忍びは多い。「鳶加藤=飛び加藤」はその一人である。その術は見事でどんなに高い塀も見事に飛び越えたことから、その名前がある。呑牛の術(牛を丸呑みする術、一種の催眠術らしい)などで謙信にアピールしたが、その異能ぶりを恐れた謙信に命を狙われ、武田に逃れた。武田でも信玄に信頼されず、命を奪われてしまったという(逃げ延びた説も存在している)。

 ある意味、忍びとは消耗される使い捨ての人材であったのだ。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©PIXABAY

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