あくまで都市伝説レベルの話だが、明治天皇は大室寅之祐であり、本物の皇太子ではないという風聞がある。

 実は 明治天皇は伊藤博文が率いていた力士隊の隊士であった大室寅之祐と言う人物であり、この男が本物と入れ替わっていたというのだ。現在でも強く支持する人がいる陰謀説である。無論、単なる風聞に過ぎないが興味深い話なので、少し考えてみよう。

 この大室なる人物は後醍醐天皇第11番目の皇子・満良親王の子孫にあたるとされており、南北朝で敗れた南朝系の皇族の末裔と称していた。つまり、南朝にシンパシーを持っていた長州藩が北朝系であった本物の明治天皇を、南朝系の末裔である大室とすり替えたというのだ。(但し、南朝の末裔と称する大室一族の発言も根拠がないという指摘もある)




 これが俗に言う「明治天皇すり替え説」である。確かに、本物の睦仁親王は1852年の生まれであり、大室寅之祐が1850年生まれであることから、2歳違いなら入れ替わりが可能かもしれない。

 反論としてそのようなな皇統の入れ替えなどしたら、幕府の残党やや諸藩が黙っていないだろうという主張もあるが、当時の尊王攘夷にかぶれた武士たちにとっては、南朝こそが正当な皇統であり、それを北朝に戻すことに異議を持つ者は少なかった。さらに、北朝から南朝に天皇の系譜を戻したいという概念は、徳川家康も持っており、その概念は水戸藩を中心に徳川一族にも受け継がれていた。

 また、明治天皇の父である孝明天皇は長州藩によって毒殺(伊藤博文が便所の下から刀で刺殺したという説もある)されていたため、恐怖に震えていた公家たちも異議を申し立てなかったと推測される。そもそも散々偽勅使を出していた明治の元勲たちにとって、天皇をすり替える行為に何の抵抗感はなく、扱いやすい子分の大室寅之祐を神輿に祀りあげる方が都合がよかったのかもしれない。

 この「明治天皇すり替え説」は、弁護士であり、古代史研究家であった鹿島昇がルーツであると言われているが、昭和4年(1929)2月に土佐藩出身の田中光顕元大臣が、三浦芳聖に語ったという記録がある。つまり、当時から噂されていた異聞ではあったのだ。

 明治天皇が大室であったとしたら、奇妙な状況証拠は多い。睦仁親王は天然痘の予防接種をしていたようなのだが、明治天皇の口の周りには天然痘に感染したアバタの痕跡があった。明治天皇はそのアバタを隠すために口髭を蓄えていた。即位前になかったアバタが、何故即位後にあるのか。明治天皇が即位後、天然痘にかかったという記録はない。

 また不可解なことに、明治天皇の生母である中山慶子の墓所に、明治天皇や皇太后、皇太子は一度も参ってはいない。幾ら高貴な身の上とはいえ、これは考えられない。さらに即位前は虚弱で小柄な明治天皇が、即位後は体重24貫を誇り、相撲を好んでとったと言われており、その変貌ぶりは異常である。むしろ、庶民的な生活をしていた人物と考えるのが妥当ではないか。




 奇妙なことだが、明治天皇は自らの妻を ”皇太后”と呼んでいる。”皇太后”とは父である孝明天皇の妻を指す呼称である。何故、明治天皇は自分の妻を”皇太后”と呼んだのか。ひょっとしたら、本物の明治天皇の妻であった一条美子に遠慮があった可能性はありうる。

 ちなみに明治元勲たちの明治天皇のへの態度も問題である。伊藤博文は明治天皇が姿を現しても起立すらせず、西郷隆盛に至ってはわがままを言う明治天皇に「そんなことを言うなら昔の身分に戻しますよ」と一喝している。他にも西郷従道は、天皇が出した「台湾出兵延期」という方針を無視して出兵する程であった。つまり、元勲たちは明治天皇に敬意を抱いてなかった形跡があるのだ。これは明治天皇は大室寅之祐が入れ替わった替え玉だ、と知っていたからではないだろうか。

 止めは明治44年に帝国議会で議論された「南朝・北朝のどちらが正統か」という議題に関して、本来明治天皇が北朝系の天皇であるにもかかわらず、南朝が正統と決定されたことである。しかも、明治天皇はそれを認めたのだ。南朝系であった大室寅之祐が明治天皇の正体ならば合点のいく話である。

 明治天皇は本当に大室寅之祐であったのか、歴史の謎は深まるばかりだ。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

明治天皇 すり替え

 

関連記事

最近の投稿

ページ上部へ戻る