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「シブがき隊」伝説 幻の4人目のメンバー?シブがき島の名の無人島が存在する!

シブがき隊は、1982~88年にかけて活動していたジャニーズ事務所所属の3人組アイドルグループ。布川敏和、本木雅弘、薬丸裕英、通称「フックン」「モックン」「ヤックン」で構成されており、「スシ食いねェ!」などのシングルで有名。NHK紅白歌合戦には、82年以来5年連続で出場経験もある。

3人は、『3年B組金八先生』の姉妹作品でもある『2年B組仙八先生』でデビュー。このため、シブがき隊というグループ名が付けられる前は、「仙八トリオ」とも呼ばれていた。

しかし、当時は「~トリオ」という名称が乱立していたという事情もあり、ジャニー喜多川によってあえて「~隊」と付けられることになった。因みに、シブがきとは「シブい(悪)ガキ」の意味である。

だが、実は当初この3人以外にもう一人メンバーが存在しており、「仙八悪ガキ4人組」と呼ばれて雑誌やアイドル番組に登場していた人物がいた。

その人物は、叶屋博基(かのやひろき)。現在では、シブがき隊の幻の4人目とも言われている彼であるが、なんと「仙八先生」第24話を最後になんの前触れもなく登場しなくなってしまった。

これについては、4人の中で彼だけが一つ下の中学3年生であり、本業の学校の方が忙しくなったために降板したとされているようだが、噂では楽屋でシンナー遊びをしているところをスタッフに見つかってしまったために降板させられたとも言われている。

彼がそのまま活躍していたら、シブがき隊は布川ではなく叶屋を含めたトリオになっていた可能性もあったらしい。

ところで、通称「シブがき島」と呼ばれる島があることをご存じだろうか。沖縄県の那覇の西30kmに位置する慶良間諸島の一つである渡嘉敷島。この島の観光地でもある阿波連(あはれん)ビーチから、「離島」(パナリ)と呼ばれる無人島がある。この島こそが別名「シブがき島」と呼ばれている島だ。

なぜ、シブがき島と呼ばれているのかというと、実はシブがき隊が解散することになった1988年に、テレビ局の企画で3人の銅像がこの島に建てられ、この時に「シブがき島」という名前が命名されたというわけだ。

だが、時の流れはなんとも残酷である。40年近く雨風や波に晒され続けた像も、すっかりボロボロに朽ち果ててしまい、顔や腕はほぼ失われている状態となっている。時折訪れる来訪者によって、申し訳程度に石やブイが頭部代わりに置かれるようだが、やはりいつの間にやら落っこちてしまうという。

実際は、何度かテレビの企画で修復が試みられたこともあるが、やはり一時しのぎにしかならなかったようだ。この3人の友情の証が、いつか修復されることを切に願いたい。

【参考記事・文献】
https://jjpedia.web.fc2.com/kanoya.html
https://idol.ne.jp/kanoyahiroki
https://bqspot.com/okinawa/kerama/634
https://shotti-nomad-life.com/hanari-island/
https://togetter.com/li/1217650

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【文 ナオキ・コムロ】

画像『シブがき隊ベスト