とろサーモンは、久保田かずのぶと村田秀亮からなる吉本興業所属のお笑い芸人。
2002年に結成され、M-1グランプリでは敗者復活戦の最多・連続進出を記録、2017年にラストイヤーで見事に優勝を勝ち取った。また、2024年時点で最後のMM-1ラストイヤー優勝者にもなっている。
M-1優勝時は、いわゆる「コント漫才」を行なっていたが、それ以前は「スカシ漫才」と呼ばれるスタイルで活躍していた。スカシ漫才は、ボケに対してツッコミ側がツッコミを行なわず、笑うだけだったり反応せずに流したりするものだ。
とろサーモンでは、久保田のボケや喋りに対して村田がひたすら無視するものとなっている、次第に久保田が落ち込んでいったり、最終的には久保田がキレるといったパターンなどがある。
2004年ごろから始めたこのスカシ漫才のスタイルは、いっときとろサーモンの代名詞となり、それによって数々の賞レースで受賞することとなった。
このスカシ漫才が生まれたのは、吉本の後輩であるお笑いコンビ・スーパーマラドーナの武智の一言があったからだという。ある時、楽屋で久保田が武智に会った際、「ごめんなさい、マジでおもんなかったです。笑えないですわ」といきなり言われた。
後輩からの唐突な発言に、深夜、楽屋に相方とこもっていた久保田は、それまでの漫才の流れでも、自分のボケに対して相方・村田のワードが追い付いてきていない、あるいはワードが出てこなくて「へへっ」と笑っていることが気がかりとなっていたことを改めて思い返し、ならばそれを徹底させてはどうかという閃きを得たという。
「もうええよ、ツッコまんで」という久保田の回答に、はじめは村田も「ウケるわけないやろ」と反論を展開させた。久保田も半ばヤケだったようだが、いざ舞台でそれを披露したところ、予想外に大ウケしてしまった。スカシ漫才は、こうした経緯で誕生したという。
ジョークとしてではあるが、このスカシ漫才でさんざん無視され続けたことが、現在の久保田の漫才での「やさぐれた」役柄への覚醒につながったのではないかとも言われている。
さて、確かに”ニュースタイル”を作ったことで注目され、それによって売れ始めたことは確かであった。だが、オファーがことごとくスカシ漫才一辺倒になってしまったことには不満も感じており、そのために仕事を断るようになっていったところ、ついに仕事が無くなってしまう時期もあった。
スカシ漫才は、確かにウケが良かったが、それは本来両者の持つ達者な”しゃべり”が生かせられないスタイルでもあった。以後は、王道のしゃべくりの道を進んでいくとろサーモンであるが、ことごとく惜しいところで栄冠を逃し続け、ついに成就したのがM-1のラストイヤーであった。
【参考記事・文献】
・http://news.yoshimoto.co.jp/2017/12/entry78163.php
・https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/08/28/kiji/20240828s00041000131000c.html
・https://x.gd/jyuvO
【アトラスニュース関連記事】
ウエストランド井口&とろサーモン久保田が思うスゴすぎる芸人とは?
M-1チャンピオンとろサーモンのクズ伝説、ケガの治療よりエッチを優先!?
【文 ZENMAI】
画像『とろサーモンのクズメンタリー』