アトラスラジオ投稿

『永遠の0』のモデル?!9度の特攻を生き抜いたパイロット「佐々木友次」

小説家・百田尚樹の小説を原作とした映画『永遠の0』、そのモデルになったのではないかと言われている人物に、佐々木友次(ささきともじ)という人物が上げられている。

佐々木は、元陸軍航空隊の軍人であった。1923年、福井県から開拓農民として現在の北海道当別町へ入植した佐々木家のもとに生まれた彼は、新聞社の定期飛行機便を見て手を振りながら追い駆けるなど、幼い頃から大の飛行機好きであったという。

17歳で仙台にある民間のパイロット養成所に入所し、卒業後は鉾田陸軍飛行学校へ配属され、急降下爆撃訓練に励んだ。そして、1944年10月には、義理ピンの第四航空軍に配属になると共に「万朶隊」(ばんだたい)の所属となった。万朶隊は、陸軍初の特攻隊として編成された部隊である。当時、佐々木は21歳だった。

佐々木が「永遠の0」のモデルになったのではないかと言われる理由は、「永遠の0」に登場する主人公の実祖父・宮部久蔵と共通する部分があるということにある。

宮部と佐々木はともに「凄腕のパイロット」と評された人物であり、また戦争で死なずに必ず生還している。作中の宮部は、生きて帰ることを最優先と考え、敵と真っ向勝負を仕掛けようとはせず、またそれだけ状況が悪化しようとも無傷で生還を果たした人物として描かれる。

一方の佐々木は、幾度にもわたって特攻に出たものの、それらすべてを生き抜き生還を果たしている。その数、実に9回だった。

また、それと同時に生還したことによって周囲から責められるという点でも両者は共通している。宮部は作中にて「海軍一の臆病者」と罵倒され、佐々木は「次は絶対に死んで来い」などと上官たちから罵声を浴びせられていたという。

それだけ罵倒され、責められながら、なぜ佐々木はいつも生還をしたのか。それは、彼の所属していた万朶隊の隊長であった岩本益臣(いわもとますみ)が影響していた。岩本は、陸軍で研究されていた跳飛爆撃の第一人者であり、なおかつパイロットを重んじていた人物だった。

岩本は、陸軍が選んだ特攻における「体当たり攻撃」を、厳しい訓練を積み上げた優秀なパイロットたちのプライドを貶める行為であるとして強く反対した。そうして、岩本は命令違反を覚悟の上で特攻専用機を爆弾投下が可能なものとして改造を施し、「出撃しても爆弾を命中させて帰って来い」と部下たちに伝えたという。

岩本は出撃前に戦死したものの、佐々木はこの岩本の意志に基づき、どれだけ命令に背きながらも9度の生還を果たした。上官から問い詰められた際に、「死ななくてもいいと思います。その代わり何度でも行って爆弾を命中させます」と反論したこともあったという。

佐々木のその生涯は、作家の鴻上尚史によって著された『不死身の特攻兵』にて広く知られることとなり、また「命令する側」と「命令される側」それぞれの特攻があることを改めて世に問いかけることとなった。

佐々木は、92歳でこの世を去った。(敬称略)

【参考記事・文献】
https://www.news-postseven.com/archives/20180805_714112.html?DETAIL
https://demimen.jp/sasakiyuuji/
https://gendai.media/articles/-/53497
https://tabiari.web.fc2.com/tobetu.htm
https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%8F%8B%E6%AC%A1

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【文 黒蠍けいすけ】

画像『永遠の0 DVD通常版

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