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単艦で米軍艦隊と大奮闘を巻き起こした駆逐艦、綾波「ソロモンの鬼神」伝説

綾波(あやなみ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦、特型駆逐艦11番艦の名称である。

1930年4月に竣工され、「第三次ソロモン海戦」における激戦を通して、その成果から「ソロモンの鬼神」または「ソロモンの黒豹」などと呼ばれた。1942年11月に新鋭戦艦・ワシントンなどの射撃によって戦没。

太平洋戦争時、綾波は第1艦隊第3水雷戦隊に所属し、以来ミッドウェー海戦など数々の戦闘に参加していた。1941年12月8日、真珠湾攻撃の2時間前のこと、マレー上陸作戦に参加していた綾波が英軍機の空襲に応戦した際に発砲、これが帝国海軍による初の発砲になったと言われている。

綾波が「鬼神」「黒豹」などの異名で呼ばれるようになった発端は1942年のこと。この年8月、米国がガダルカナル島に上陸し、日本軍と米軍の両国がこの島を巡って激しい戦闘を展開することとなった。この時、制空権はアメリカにとられてしまっており、およそ1000km離れたラバウルからの零戦隊も、往復8時間、島上空での滞在時間30分という中で不利な戦闘を強いられていた。

この打開策として、島にある米軍飛行場の砲撃が開始され、金剛や榛名などによって大ダメージを負わせることには成功したものの、第2飛行場が存在していたことが判明し制空権の奪還は果たせなかった。

日本軍は霧島と比叡を投入し再び攻撃を計画するが、米軍に暗号が解読されてしまったことで動きが察知されてしまい、米軍はワシントンとサウスダコタといった戦艦をガダルカナル沖に出撃、11月になって日米艦隊の激しい衝突が起こった。

掃討隊4艦の一つであった綾波は、目的地であるガダルカナル島の手前であるサボ島近海にて二手に分かれることとなり、ともに西側へ進んだ川内が敵艦らしき艦影を追尾したため綾波が単艦となり、その後いくつかのトラブルによって綾波は単体で敵艦隊と相対することとなってしまった。

しかし、綾波の進撃はここから始まったのだ。米国艦隊が川内に砲撃を行なっている中、レーダーに写らなかった綾波に敵艦隊が気づいておらず、綾波の砲弾が駆逐艦プレストン、次いで駆逐艦ウォークに命中し炎上。サウスダコタにも主砲弾が1発命中することとなった。

これによって米国は綾波に反撃、このことによる1番連管の故障で旋回不能になってしまうが、故障していない2・3番連管から魚雷を発射し、ウォークとベンハムの艦首部にそれぞれ命中し、いずれも沈没や航行不能となった。

こうして、戦艦2隻、駆逐艦4隻からなる米国艦隊であったが、綾波の活躍によって駆逐艦3隻、戦艦1隻が追い込まれる形となった。これが、「鬼神」「黒豹」という綾波の異名の由来となったのだ。しかし、その後奮闘虚しくワシントンなどからの集中砲火を受けることとなり、航行不能となって漂流することになった。

この時、綾波の乗り込み員は浮遊物を事前に海面へ投げ込むなどして退艦の安全策をとっており、じつに8割の乗員が生存することとなった。

その乗員たちの避難が終了したのを、まるで見計らったかのように魚雷が誘爆、この爆発によって綾波は沈没していった。

【参考記事・文献】
https://merilaev.com/destroyer-ayanami/
https://x.gd/haKDV
https://xn--ww2-523es33s4hr4hk.jp/kantaisen13.htm

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【文 ナオキ・コムロ】

画像 ウィキペディアより引用