パワースポット

「平将門と七天王塚」

かつて天皇に反旗を翻し、新皇と名乗り、関東に強大な独立国を夢見た男。それが平将門である。

この男はひじょうに魅力的な人物であり、関東の守護神であるとされたり、時には帝都崩壊を図る怨霊とされている。

実際の将門は、呪術的な方面にどのようなスタンスで接していたのであろうか・・・将門の生きた時代、政争や闘争は武力だけでなく、呪術や密教など目に見えない力も合わせて施行された。つまり、将門も積極的に呪術を使用していたのだ。

例えば、将門は当時の日本人が最も恐れていた怨霊・菅原道真をうまいぐあいにプロパガンダに利用した。将門は自分の霊的バックボーンは道真だと吹聴したのである。

事実、道真の死後、彼の三男が将門の一族の世話になっており、都の混乱を狙う道真の怨霊が平将門に対して、バックにつく可能性はあった。それ故に、都の貴族たちは、将門の反乱に異常なまでに過剰反応した。

そこで、繰り出されたのが陰陽道や密教であった。陰陽寮の人間が総員で将門の呪殺に参加し、密教僧たちもこぞって将門調伏を祈った。この時、まだ10代から20代の若手であり、陰陽寮の優秀な学生であったはずの安部晴明も参画している。

つまり、将門VS晴明 道真VS晴明という夢の対決が実現しているのだ。更に、将門は北斗信仰を使って朝廷を呪う。北斗信仰とは北極星への畏怖と北斗七星への崇拝が混じって成立したもので、当時日本で流行していた。

故に将門には七人の影武者伝説が多い。東京の青梅で将門の影武者が七つの石になったという伝説があるし、千葉の藪知らずにも七人の影武者がいたという伝説が残されている。

勿論、この七人の影武者が、北斗七星を意味することは明白である。将門滅亡後、その一族である千葉氏は居城に北斗七星の塚を築いた。それが七天王塚なのだ。ならば、将門=七天王塚のシステムは今も有効なのだろうか。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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