歴史に関するとんでも仮説は様々あるが、もっと有名な仮説に、昭和初期に酒井勝軍が唱え宇野正美らが広げ拡散していった「日ユ同祖論」がある。
つまり、日本人は、ユダヤの失われた十支族の末裔であり、両民族には血縁があるという説である。無論、科学的に立証されたわけではないが、丁寧に見ていくと興味深い共通点が浮かび上がってくる。
これを事実だと言う気はないが、その概要を説明してみよう。約束の地を求めて東に向かった十支族の末裔たちは、数百年かけて、東の果てにあった日本にたどり着いた。
その間に混血が進み見た目にはアジア人に近い容貌となっていた古代ヘブライ人は、天孫降臨族として日本に定着した。
何度かに分けて日本に渡来した古代ヘブライ人、その代表的な存在は物部氏や秦氏であった。
当然、東南アジアや朝鮮半島、中国からの渡来人や原日本人と混血していき、現在の日本人が形成されたのだが、日本の言語や風習には古代ヘブライ(ユダヤ)人との共通項が多数確認できる。
まずは言語である。地名や単語は数千年経っても極端には変化しない。ちなみに日本語と類似したヘブライ語は一説には3000語を超えるとされている。幾つか実例をあげてみよう。
まず「鳥居(トリイ)」という単語は、ヘブライ語のアラム方言で「門」を意味し、「帝(ミカド)」という単語は、高貴な方を意味するヘブライ語の「ミカドル」に酷似しているし、「駄目(ダメ)」という単語は、そのままの発音でヘブライ語で通じ、駄目という意味で使われている。
また「憎む(ニクム)」という単語も、そのままの発音で憎むという意味で通じるし、「主(ヌシ)」という単語も同様に長という意味で、そのままの発音で通用する。さらに「忌む(イム)」は、酷いという意味であり、「飛鳥(アスカ)」は、住所を意味し、「滅ぶ(ホロブ)」もそのまま通じる。
このような共通する単語が3000語以上も、確認されているのだ。
また、日本に神社の配置構造が古代ヘブライの神殿と似ており、古代イスラエルが使用していた「ダビデ王の紋章」も、かごめ紋・六芒星として古い神社では多用されている。
また、古代ヘブライには天使と相撲をとる話が残されているが、これも日本に残る神様と相撲をとる相撲神事に似ている。
また、古代ヘブライから続く過越祭(ペサハ)という年越と日本の年越しから正月にかけての習慣が似ている。
ペサハは日本の大晦日と同じく家族で寝ないで過ごし、七日の間お祭りの期間が続く、これは日本の正月の七日間と同じであり、餅のような中身の入ってないパンを食べて祝うのも似ている。
そもそも初詣で参拝する神社にある鳥居の形は、古代ヘブライの住宅にあった玄関と同じ形状をしているのだ。
古代ヘブライ人は神に祈りをささげるの時に小さな小箱を額につけて伏し拝む。これは日本の修験道において山伏が額につけている小さな箱状の頭襟(ときん)に似ている。
さらに山伏が吹くほら貝は、ヘブライの祭りで使用される楽器「ショーファー」と似た音色である。
やはり、渡来してきた古代ヘブライ人が皇室の祖先となったのだろうか。2007年に放送されたテレビ番組「みのもんたの日本ミステリー!」では、古代ヘブライ人が上陸した場所を四国の徳島として紹介した。
特に徳島にある剣山にはソロモン王の宝が眠っていると言われており、アーク(聖櫃)と呼ばれる箱に「アロンの杖」「十戒の石板」「マナの壺」が納められているという。事実、剣山本宮例大祭が行われる7月17日という日程は、古代ヘブライの祭日と同じであり、剣山に担ぎこまれる神輿は、伝説のアークの形状と酷似している。
またイスラエルの次期首相候補の一人である元イスラエル大使エリ・コーヘン氏は何度も徳島を訪問しており、徳島県美馬市にある倭大國玉神社でメノラーを発見し、日本人とユダヤ人は同じ先祖を持つと公言している。
また、古代ヘブライ人に見られるYAPと呼ばれる遺伝子はアジアでは主に日本人に多い。
そもそも四国八十八カ所の霊場も、剣山に埋められたアークを守護するための結界の一種なのではないかと言われているのだ。
やはり、古代の徳島にヘブライ人たちが渡来したのであろうか。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)