タイムトラベル

日本の漁船が巻き込まれた水爆実験「ビキニ島事件」の隠された被曝の事実

現在のマーシャル諸島共和国に属する太平洋上に浮かぶ諸島の1島であるビキニ環礁は、第二次世界大戦後初となる核実験がアメリカによって行なわれた場所であり、1946年から1958年までの間に幾度もの原子爆弾および水素爆弾の核実験が行われていた。

1954年3月1日、この日、南太平洋で操業中であった静岡県の遠洋マグロ漁船である「第五福竜丸」が水爆実験(ブラボー実験)に巻き込まれるという事件が発生した。

これにより乗組員23人が被曝、そしてその中の一人、第五福竜丸の無線長として乗船していた久保山愛吉が「原水爆の被害者は私で最後にしてほしい」という言葉を残し、半年後に息を引き取った。

彼の死は「死の灰(放射性降下物)の犠牲者」と報じられ、またこの出来事自体が放射能の危険性を大きく示すものとして世界的なニュースとして報じられ、現在では「ビキニ事件」と呼ばれ世に知られている。なお、死の灰は米兵28人、マーシャル諸島の住民236人にも降り注いだという。

1946年当時、ビキニ環礁にはおよそ160人もの島民がおり、核実験のため一時的に他の島へ居住することになっていたが、何度も核実験が繰り返されたことでひどく汚染され、現在も戻れないままとなってしまっている。

このビキニ事件は、日本においては長年に渡り第五福竜丸以外の被曝は認められないという報告がされていた。当時、周辺の海域では1000隻もの漁船が操業していたとされているが、国は乗組員の放射線量の記録が残っていないとしていたのである。

ところが、2014年に第五福竜丸を含む他の漁船の記録が開示されたことで事態は一変した。

なんと、乗組員の一部にて通常よりも高い放射線量が検出されていたことが明らかになったのである。さらに、他の漁船の元船員の歯や血液から被曝の痕跡があることも突き止められることとなり、以後、元乗組員やその遺族による被害救済の訴訟が政府などに対しなされることとなった。この裁判は現在も審理が続いている。

ビキニ事件は、そもそもアメリカが事を大きくしないよう被曝を小さく見積もったこともそうだが、日本側にとっては戦後間もないこの時期に平和条約を締結して間もなかったことで、アメリカ側を刺激しないよう強く意見することができなかった。

のちにアメリカは、賠償金としてではなく見舞金として200万ドルを支払ったことで日本はアメリカに対する責任追及はしないという条件のもと事実上の終結がなされた。ビキニ事件は、国の思惑によってその全容が隠蔽されることになってしまった事件と言えるだろう。

なお、久保山の死因は被曝によるものではないとする見解から、アメリカがこれを公式に謝罪することはなかった。

【参考記事・文献】
ビキニ事件70年 マーシャル諸島の若者と学ぶ
https://www.nhk.or.jp/shutoken/newsup/20240119b.html
元船員らの被ばくを追う――新事実次々 60年前のビキニ核実験
https://news.yahoo.co.jp/feature/501/
第五福竜丸事件(ビキニ事件)とは?事件の経緯や影響を分かりやすく解説
https://rekisiru.com/11900#goog_rewarded
第五福竜丸の被曝、現在も島に戻れない住民…ビキニ環礁の水爆実験から今日で67年
https://gendai.media/articles/-/79755

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【文 ZENMAI】

画像 ウィキペディアより引用