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死んでミイラになっても会議に出席した男、ジェレミ・ベンサム

18世紀から19世紀にかけて、イギリスで「大天才」と呼ばれた学者がいた。哲学者・経済学者・法学者で、また功利主義の創始者として有名なジェレミ・ベンサム(1748年~1832年)である。

ジェレミ・ベンサムは倫理学などで使われる「功利主義」の創始者として著名であり、ある伝説によると、幼少の頃から英国史を読み耽り「神童」として扱われていたほか、5歳の時には四カ国後を話し、15歳の頃には美術大学の修士課程にチャレンジするほどだった。

最終的に法律家となったが、当時のイギリスの法曹界にベンサムは幻滅し、著述家として活躍するととなった。

そして、彼はイギリストップの大学・ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンを設立させ晩年はこの大学のために働き、亡くなる寸前まで会議に出席し続けたという。

しかし、天才というのは時に突拍子もないことを言って周囲を困らせるものであった。

それは、なんとジェレミ・ベンサムは死んでもなお、会議に出席し続けることを望んだのである。

この提案に周囲の人間も困ったが、天才・ベンサムはこんなアイディアを遺言として伝えた。

「俺が死んだあと遺体をミイラにして議長席に座らせろ!もちろん愛用のステッキやシルクハットもそのままだ!」

そして、数年後ベンサムは本当に亡くなり、関係者の手により遺言通りミイラとなった。このベンサムのミイラは木製の棚に保管され、遺言通り議長席に座らされ、長い間、大学の会議を見守っていたという。

まるで中国の故事「死せる孔明、生ける仲達を走らす」のヨーロッパ版である。

ちなみに、このベンサムのミイラは頭部だけは保存の過程で頭部は深刻な損傷を受けたために切り取られ、別の箱に保管され、ミイラにはベンサムの顔ソックリのマスクを被って展示されることになった。

しかし、このベンサムの生首ミイラは後に学生のイタズラの標的にされたり、2016年にはこの生首ミイラを「何故か」所持していたニューヨークのブルックリンに住む男性が飛行機に手荷物として持ち込もうとした事件が発生する(後のこの生首はベンサムのものではないことが判明した)など死後200年近くが経過した今も注目を集めている。

(文:穂積昭雪 山口敏太郎事務所 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

Photo credit: Leo Reynolds on Visualhunt