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世界チャンピオンになる前の一騒動、「ガッツ石松」池袋乱闘!暴漢8人ノックアウト

ガッツ石松は、日本の元プロボクサーであり、引退後にはタレントや俳優として活躍している人物である。

バラエティ番組での珍妙な回答などがたびたびクローズアップされるため、天然キャラとして親しまれているが、ボクサーとしての経歴は華々しいものであり、ボクシングWBCライト級世界チャンピオン6度防衛を果たした経験を持つ他、1974年に日大講堂で行なわれたライト級王座挑戦では圧倒的不利と言われた前評判を覆し8回KO勝ちで王座奪取を成し遂げた。

この時の彼の姿は記者によって「ガッツポーズ」と表現され、試合が行なわれた4月11日が「ガッツポーズの日」として定められた経緯もある。

「OK牧場」などのフレーズでも知られ、現在では天然キャラとしての印象が強いガッツ石松であるが、ボクサーとしての経歴を見てもわかる通り、その強さは凄まじいものであり、それを証明するかのごとく語られる伝説的なエピソード・事件も存在する。

事件は、彼が当時東洋ライト級チャンピオンになったばかりの1972年10月15日。夜11時半を過ぎた頃、彼の弟の友人からかかってきた一本の電話に始まる。電話の向こうから聞こえた弟の友人は、弟が集団で暴行されており自身もやられて逃げているという悲痛なものであった。

これを聞いた彼はすぐさま池袋のアパートを飛び出し、5分後には現場となっている駅の西口に着いた。




彼の弟とその友人に暴行を加えた集団は、白タク(自家用車による無許可タクシー営業)の縄張り争いをしていたグループ連中であり、通せん坊などの行ないから口論となったことが原因であったようだ。

彼は、殴りかかってくる相手に右ストレート、左ジャブなどを食らわせていき、そのあまりの強さから徐々に相手側も怖気づいていったという。この時彼が相手にした人数は15人と言われているが、報道では8人として発表されたようだ。

直後、現行犯で逮捕となった彼は、取り調べを受けることとなった。彼がボクシングのチャンピオンであったことから広報事案いわば不祥事ではないかとも騒がれたが、彼は「ボクサーとして喧嘩はしてはいけないかもしれない」と同意しながらも「弟が殺されそうだったので助けるのは当然」だと主張した。

結果として、数日間は留置所へ泊ることになったものの、厳重勧告のみの不起訴となった。処分があるのではないかと恐る恐るジムへ向かうと、会長は何ごとも無かったかのように「早く練習を始めろ」と応じたという。その裏では、会長が必死に各関係者へ頭を下げて穏便な処分を求めたそうだ。

因みに、事情聴取の際「チャンピオンは、いついかなる時でも誰の挑戦でも受けなければならない!と賞状に書いてある」とも主張したため、この事件以後、JBC(日本ボクシングコミッション)はこの文言を賞状に使用しなくなったとの逸話もある。

【参考記事・文献】
ガッツ石松が池袋で逮捕!乱闘事件の裏側からガッツポーツ誕生秘話まで大公開!
https://x.gd/hY6tK
ガッツ石松さん!実は逮捕された事がある
https://cocorety.net/entame/130018.html
プロボクシング元世界王者・タレント ガッツ石松<11> 不起訴、戒告の温情 一家3人新生活
https://www.sankei.com/article/20230211-RSLBBO7IGVLJDBGDWWKVXR4KOA/?outputType=theme_portrait

【文 ZENMAI】

画像『神様ありがとう俺の人生