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松本零士も泣いて悔しがった「宇宙戦艦ヤマト」の設定の誤算とは?

宇宙戦艦ヤマトは、1974年に放送された原案・西崎義展、監督・松本零士によるSFアニメ作品。放送当初は、「アルプスの少女ハイジ」や「猿の軍団」など人気作品が裏番組であったために視聴率が振るわず打ち切り。しかし、何度か行なわれた再放送によって人気に火が点き、1977年には劇場版が公開、以後現在に至るまで数多くの漫画・アニメ作品に多大な影響を与えるほどの地位にまで登り詰めた。

監督を務めた松本零士といえば、代表作「銀河鉄道999」などで知られる漫画家である。宇宙に対する強いあこがれを持ったロマンチストであった彼は、同時にその描写に対しては徹底したリアリストであったと言われている。実在する兵器については、写真や設計図など基に忠実な形で描くことをモットーとし、メカに関しては尋常ではないほどの拘りがあったようだ。

宇宙戦艦ヤマト

細かく精緻な書き込みは見る人を圧倒するほどであり、自身の作品でたびたび描かれる、所狭しとメーターが敷き詰められた描写は通称「松本レーダー」と呼ばれている。

これほどまでに、描写への強い拘りを見せていた松本であるが、実は宇宙戦艦ヤマトについては少々苦い思い出を持っていたようだ。

そもそも作品のタイトルにもなっている宇宙船である「宇宙戦艦ヤマト」は、太平洋で九州沖に沈んだ戦艦大和を改造して建造されたものというのが公式の設定となっている。戦艦大和とは、世界最大級の戦艦として今も語り継がれる日本海軍軍艦だが、1945年4月7日、大きな成果が挙げられないままに坊ノ岬沖海戦で沈没したことで知られている。

さて、問題はこの沈没した戦艦大和の改造に関してであり、作中では沈没後放置され続けていたと見せかけて密かに海底で宇宙戦艦へと改造されていたことになっている。その際、戦艦大和はほぼ原形を保ったまま沈んだように描写されている。

実は、戦艦大和がどのような形で沈んでいるかについて戦後しばらくは判っておらず、戦後40年を迎えた1985年に「海の墓標委員会」によって行なわれた捜索によって初めて海底で船体が確認された。




そこで発見された戦艦大和は、なんと船体が真っ二つに断裂されていた状態だった。

この調査結果については、結果として戦艦大和が作中のような形で使用されることが不可能であることを知らしめたものとなり、一部スタッフは非常に落胆したと言われている。特にショックを受けたのは松本であったようだ。

松本は下宿時代にたまたま隣に住んでいた重巡洋艦『最上』の副艦長で元海軍中佐・猿渡正之と交流を持ったことで、猿渡から「大和」の設計図を譲り受けていた。緻密な描写に拘った松本にとっては、これ以上に無い貴重な資料であったことには違いないが、戦艦大和の船体が折れて沈んでいたとの事実を知った際には、泣いて悔しがったという。

一部の軍事マニアにとっては、海底で戦艦大和がどのような状態になっているか当初から予想ができていたとも言われているが、情熱を注いで作り上げたスタッフからしてみれば、自分たちの力で確かめることも到底できなかったことではあるにせよ、作品発表からおよそ10年目にして白日の下に晒された真実にはやはり相当のショックがあったことだろう。

【参考記事・文献】
戦艦大和
https://dic.pixiv.net/a/%E6%88%A6%E8%89%A6%E5%A4%A7%E5%92%8C#h2_5
松本零士『宇宙戦艦ヤマト』制作時に役立った幻の設計図
https://smart-flash.jp/entame/27686/1/1/
魚雷44本が命中し、艦体をくの字に曲げて没した戦艦大和
https://www.rekishijin.com/22157

【アトラスラジオ関連動画】

【文 黒蠍けいすけ】

画像 ウィキペディアより引用