週刊マーガレットにて1973年から75年、78年から80年にかけて連載されていた山本鈴美香の漫画『エースをねらえ!』は、少年少女を中心にテニスブームを巻き起こしたスポ根漫画として有名である。アニメ化、ドラマ化などもされており、松岡修造がテニスプレイヤー現役時代のころには、必ずコミックスを持参していたほどバイブルとして扱っていたと言われている。
厳しい特訓にリアルな試合描写、敗北や勝利を通じて人間としての成長が描かれる本作は、通常イメージするようなスポ根にありがちな必殺技というたぐいは登場しない。そのことは作中でも、「ありもしない必殺技などというものに頼るな」とメタ的な発言で否定しているほどである。
さて、テニスブームという社会現象をも起こした本作は、それと同時にサブカルにおいても重大な影響を与えている。
それは、登場人物の一人である竜崎麗香の存在だ。彼女は、金髪のポニーテールに縦ロール(ドリルヘア)をこしらえ、華やかな顔立ち、そして学業の優秀さも兼ね備えたインパクトあるキャラクターであり、高校生でありながら作中では「お蝶夫人」という通称で呼ばれている。
連載当時、女子テニス部員の間で流行語になったと言われている「よくってよ」をはじめとして「それではお暇しなくては」などといった、独特の言葉遣いを用いることも印象的なそのキャラクター性が、のちの「お嬢様キャラ」に与えた影響は非常に大きく、「エースをねらえ!」の1年後に連載された池田理代子の漫画『おにいさまへ…』に登場する一の宮蕗子、そこからさらに1年後に連載開始した美内すずえの漫画『ガラスの仮面』の姫川亜弓など、多岐に渡っている。
現在でも、にじさんじ所属のVtuberとして一躍話題となった壱百満天原サロメも容姿や口調からいわゆる「お嬢様キャラ」(正確にはお嬢様に憧れる一般人という設定)として活動しているが、これらお嬢様キャラクターの源流がお蝶夫人であることはまず間違いない。
ところで、なぜお蝶夫人は既婚者でもないのに「夫人」と称されたのか。
一説では、70年代当時は女性テニスプレイヤーが「夫人」の愛称で呼ばれていた時代であり、ビリー・ジー・キング選手がキング夫人、マーガレット・スミス・コートがコート夫人と呼ばれ親しまれていたと言われている。このことから、お蝶夫人の夫人が愛称として採用されたのではないかと考えられている。
また、作曲家プッチーニのオペラに、長崎港を舞台とした没落令嬢と米海軍士官の悲劇を描いた作品『蝶々夫人』が存在する。没落したとはいえ高貴な士族の娘であるという「蝶々夫人」に、”蝶のように舞うフーム”をもじって「お蝶夫人」になったと言われている。因みに、作中お蝶夫人が実際に家庭を持った「夫人」となる描写は無い。
【参考記事・文献】
竜崎麗香
https://dic.pixiv.net/a/%E7%AB%9C%E5%B4%8E%E9%BA%97%E9%A6%99
【エースをねらえ!】お蝶夫人の本名は?ひろみとの関係やテニスの実力・名言まとめ
https://bibi-star.jp/posts/8023
【文 ZENMAI】